TOCの風 (エッセイ)NO.1  才能

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風 NO.1   才能?

              (師走の風に向かって)

1.先生は必要?

一応、私は人にものを教える事を「生業」としている。

小中高校生の勉強や,その指導法や,論文の書き方などを。

授業がスムーズに進むように、できるだけの準備はしているけれど、予想もしない質問が来て、思わず「はあ?」とアゴをはずしかけたり、時間をかけて限界値に到るほど丁寧に教えたはずなのに、脳天を打ち砕かれるような答えを読まされたり、自分の無能さを日々思い知らされる事ばかりである。

ところが、そんな程度の私に「わたしって、プロの塾教師になれます?」とか、「うちの子は、模試でこれこれの成績だから、勉強の才能がありますよね?」と聞いてくる子や親が、授業や、講習会の後で何人か現れる。

答えは決まって「そんなことは分かりません。」

本当にそれ以外は答えようがないのだが、たいがい聞いてきた側は、おもしろくなさそうな顔をする。

何と言ってもらいたいんだろう。わたしが太鼓判を押したら何かいいことがあるのだろうか。

実際、安易に請け合う人たちもいるのだが・・・。

けれども、勉強に限らず,ほんとうに才能がある、とか無いとかそんなことがどうして誰かに言えよう。「才能」というものは、その人が生まれたときにもらった、リボンがかかった箱に入っているプレゼントではないのだ。

高校時代の美術の先生だった大橋先生(日本画家・元近代美術館館長)は、画家になるには、ひたすらに描き、描き、描き続けるなかで、線をすこしずつ洗練させ、使える色をふやし、そのなかから自分の線と色を見つけていくしかない。その結果、自分がどこにたどりつけるか、あるいはどこにもたどりつけないかは、誰にもわからないと、おしゃっていた。

もし「才能」という言葉をどうしても使いたいのなら、これをやり続ける能力としか言いようがない。すくなくとも「才能」は、プロになれるお墨付きなどではないのだ。

好きなことを見つけなさい、ということを誰でも聞いたことがあるだろう。それはなぜかというと、好きなことでないと続けられないからだ。自分の思いどおりにできるようになるまで、たいがいのことは、アホらしいほど時間がかかる。

同じことを一人っきりで繰り返し繰り返し、延々とやっていかなければならない。そんなことは死ぬほど好きでなくては、絶対にできない。そして、自分の思い通りにできるようになったところが、ほんとうのスタートラインなのである。つまり、「好きなこと」とは、飽きようが、イヤになろうが、けなされようが、とがめられようが、毎日毎日繰り返してできることであり、それは見つかるというより、もちろん巡り合ったのは偶然であっても、自分がそれと強い関係を結ぶことができるもの、といったほうがいい。

絵を描くことばかりではない。楽器を演奏することにせよ(Weaverの奥野君のように)、漫画の原作を書くことにせよ、ゲームのプログラムを作るにせよ、おそらくコックにせよ大工にせよ陶芸家にせよ写真家にせよ、それがなんであってもある程度、形になるまでは時間がかかる。そして、そこに行くまでには、気持ちが悪くなるくらい、失敗を続けていかなくてはならないのだ。

それが学校の勉強の場合、そこまでする人が少ないだけなのである。そして、そこまでしなくても、大抵は、学校の勉強の目的は達せられる。

わたしたちは言葉でも自然に身につけているわけではない。生まれ落ちるとすぐ、親の話すのをものすごい集中力で聞きながら、何度も繰り返し繰り返しまねをし、一年か二年して、やっとしゃべれるようになってきたのを忘れてはいけない。

つまり、どんな技術でも身につけようと思ったら、まねをし、参考にする対象、つまり先生が絶対に必要なのだ。

  

2.       教え-教わるということ

バレリーナというのは、舞台を降りても、非常に立ち姿が美しいのをご存じだろうか。単に背筋が伸びている、というだけでなく、重力を感じさせない立ち方をする。群衆の中にいると、その姿は目立つ。他の人間がGに打ちひしがれたような格好で壁にもたれたり、柱に寄りかかっている中にあって、ひとり重力とは無縁に立っている。それが不思議でバレーをしていた妻や叔母に聞いてみたことがある。すると、初心者の指導もしていた彼女たちの先生は、最初に、頭のてっぺんからひもが出ていて、自分が常にそのひもに吊り下げられているところをイメージするように教えていたのだそうだ。その先生自身もそう教わったのだという。確かにそういうイメージを持って立つと、背筋が伸びるだけでなく、力が抜け、軽く立つことができる。

あるいは、こんなこともあった。息子たちが通っていたスイミングのインストラクターが、身体が沈んで上手く泳げない、という人に、「あごを引いて泳いでみて」とアドヴァイスするのを聞いた事がある。その一点に気をつけただけで、泳ぎがまったく変わったのには、近くで見ていた私もおどろいた。

もうひとつ、これは私自身の経験なのだが、日本人が苦手とされるLとRの発音の区別、私はこれには比較的苦労することがなかった。というのも、中学生当時、通っていたパルモア学院のアイルランド人の先生から、Rを発音するときは、上唇の両端を緊張させる、という指導を受けたからなのだ。多くのテキストには、日本語にはないRの音の舌の位置については書いてあるけれど、上唇を緊張させる、ということは書いていない。だが、その一点、気をつけるだけで、発音は全く変わってくる。自分が正しく発音できれば、聞くときもそれほど難しくはない。

あらゆることは、まず、主体の身体の構えにかかわる。中学高校と続けてきた剣道で、厳しくたたきこまれてきた事だが、このことは、剣道や踊りや水泳や語学だけではない。絵でも、一本の線を引こうと思えば、鉛筆やコンテや筆の持ち方、持っていない手の使い方、座り方、そうしたものが正しくできていなければ、思い通りの線は決して引けない。

そうして、絵を描くことが、実は見ることそのものであり、脳の一部を手に移動させている行為であるように、見ることにしても、考えることにしても、あるいは文章を書く、本を読むといった、わたしたちが普段「身体行動」とは意識していないような活動を行うときも身体は密接に関連している。その行動にふさわしい、身体の構えというふうなものがあるのだと思う。

先生、というのは、この身体の構えのお手本なのである。わたしたちは先生が立つのをまねて立ち、先生の線をなぞる。先生の言葉をまね、先生の身体の動かし方をまねる。先生のものの見方をまねて、考え方をまねる。

(当然、親の・・・・)

そこで問題になってくるのは、わたしたちは自分の身体がどうなっているかを自分では見ることはできない、ということである。自分がどれだけまねているつもりでも、自分の立ち姿のイメージは、外から与えられるまで思い描くことはできないし、身体が沈んでいくという形でしか意識することはできない。自分の身体がどうなっているかを俯瞰する「外部の眼」がどうしても必要なのだ。

加えて、そうした点を的確に表現し、アドヴァイスを送る「身体的な」言語がどうしても必要になってくる。そうした言語の遣い手は、決して多くはない。「一緒に泳いでいるともだち」ではダメなのはもちろん、単に経験者というだけでもダメで、そういう言語運用能力に長けた人、あるいはそういう指導を受けている人に習うことが必要になってくる。

ところがこうした明らかに核心をついたアドヴァイスを受けるチャンスというのは、実際にはそれほど多くない。私にしても、そのアイルランド人の先生の指導を三年近く受けていたのだけれど、はっきりとしたアドヴァイス、これを聞いて本当にためになったという情報は、その一点だけだ。振り返ってみても多くのいい先生に恵まれてきたのだけれど、これを聞いてためになったという形で自分の中に残っているものは、ほとんどない。

つまり、核心をつくアドヴァイスを求めて、先生につこうと思っても、それは必ずしも効率がよいことではない。「情報」ということに限定するなら、自分の役に立つ情報は必ずしも得られるとはかぎらないのだ。

そんな不確かなことならば、やはり先生など必要ないのか。そんなことはない。やはり技術の向上を目指そうと思うのなら、必ず先生につかなければならない、と、わたしは思う。

十代の終わりに、小学生や中学生に勉強を教えることになってから、さまざまな場で教えるという経験を重ねてきて、つくづく思うのは、教えられるほうは、自分の好きなことしか聞いていない、ということだ。ここが大切だ、と口を酸っぱくして言っても、プリントを作っても、宿題を出しても、教わる側はちっとも聞いてはいない。好きなように「理解」するし、勝手に「励まされた」と感動するし、「傷つけられた」と怒り出す。

つまり聞いている側は、聞きたい情報をいくつかピックアップし、それをつなげて勝手に「物語」を作り上げ、自分のものにするのである。

ここで言えるのは、教える-教えられる、という関係は、パッキングした知識を宅配便のように教える側から教えられる側へと発送することではない、ということだ。

これをコミュニケーションという観点から見るならば、教師の発話を受け取った生徒の側からコミュニケーションは始まっていく。教える-教えられるという関係がコミュニケーションとして成立するか否かは、教えられる側にかかっているのである。

つまり、教えられる側が教わろうとしてその場に入っていくとき、教える-教えられるという関係が初めて成立するのである。そうしてそこで何を学ぶか、というのも実は教えられる側が選び取っていくことなのだ。

しばしば聞く話に、学校に行っている頃は勉強なんか楽しくなかったけれど、大人になって勉強してみると、これほど楽しいことはない、というものがある。大人になってからついた先生が良かったから?そうではない。

ひとえに教わる側のあり方が変わったのだ。教わる側が、教える-教えられるという場に自分から主体的に入って行ったのか、それともいやいや連れてこられて、ダルくてやっとれんわーと思っているかの違いなのである。

当然、ここにお金の問題が介在してくる。教える-教えられるという場を設定するときに、金銭を介在させるというのは非常に分かりやすいことなのだ。

大人になって、自分が身銭を切って行く英会話教室やカルチャースクールで「不登校」になる生徒はいない。講師が休めば、振り替えを求める。ところが、義務教育の頃は、自分が懐を痛めていないものだから、不承不承、行かされているように思い、サボり、教師が自習にすれば大喜びする。

そうした意味で、自分は教えられる場に入って行く、という心構えのためにも、お金を払うというのは必要なことだと思う。経験の少ない未熟な子には、その価値や技術はまだ見えないのだろうけど、それは親が教えなければならない。

プロになる、つまり、その道で食べていくことができる程の収入を得ようと思えば、知識と技術が前提となる。知識と技術を習得するためには、教える-教えられるの関係に入って行くことが必要である。そうして、その場に入って行くことは、お金がかかることも、了解しておく必要がある。

けれども、そこで得た知識も技術も、それだけでは何の役にも立たない。こんどは、それを自分のものにしていく過程が必要になってくる。文字通り「身につける」というプロセスである。それが繰り返しのトレーニングであり、いかにそれを効率よく、倦むことなく、続けていけるかどうかが問題なのである。

その結果、プロになれるかどうかは、大橋先生の言葉ではないけれど、「誰にもわからない」。ただ、個人差はあるにせよ、できるようになったことを前提にして、必ず自分の思い通りに身体が動かせる段階に到達できるはずだ。つまり、一種の「自由」を手に入れることができるのだ。

自由ということを書いたついでに言っておくと、技術を身につけない段階で「好き勝手」にやることと、自由とは全く違う。技術が無く「好き勝手」にやっているときは、全く「不自由な限界」の中にいるのだけれど、その状態に気付いていないだけなのである。ヘッタクソな絵を「自分の個性」だと思っているのは勝手だけれど、それは「自分が全く不自由な状態」にいることに単に気付いていないだけなのだ。自分の限界を指摘する「外部の眼」など必要ないと思うのなら、それもまたいいだろう。趣味として、楽しくやって行けばよい。けれども、そこから出ようと思うなら、「外部の眼」の評価に自分を晒さなければならない。自分の不自由さに気がつかなければならない。

プロになるというのは、何にせよ大変なことだ。けれども、できないことを見極め、できることの領域を少しずつ広げていくプロセスのなかで、わたしたちは必ず自由になって行くはずだ。それを思うと、その大変な道の一つを選択する価値は十分にあるはずだ。世間の識者、先達たちは、さまざまな言葉でわたしたちに教えようとしてくれていたと思う。

さて、ここで教える側は、何を教えたらよいのだろうか。そのお金に見合う何物かを提供するためには、何をしたらいいのだろうか。私自身、未だ模索している段階なのだけれど、その上で、今こころざしていることをいくつかあげてみたい。

①    場の雰囲気をコントロールして、教えられる側の気を上げる

もちろん、これはコミュニケーションの起点が教わる側であることを考えれば、教える側がどこまでコントロールできるかははなはだ心許ないものでもある。けれども、やはり教える側が一方の当事者であり、送り手であることは間違いない。少しでも学びの場に近づけることができるように、できるだけの努力はすべきであろう。私のオヤジギャグはあまり評判は良くないのであるが、けなげな努力の一端ではある。

②    教える側が、自分なりの基準を持つ

どういうものを良いと思うのか、なぜそれが良いと言えるのか、そうした基準を教える側が持っていることは必要不可欠だと思う。その基準が無ければ、教えるのも場当たり的にならざるを得ないし、まじめな受け手は混乱するだろう。その基準を受け手が批判してくる場合は、それに応酬していく必要がある。つまり、それを毅然と行える程、その基準は教える側にとって、確固たるものでなければならないと思う。

③    「答え」ではなく、どういうふうに考えを進めたら良いのかを教える

受け手が知るべきは、いくつもある「答え」のひとつではなく、そこへ行くまでのプロセスであり、さらに言えば、そこから次の質問を作りだしていく道筋を示すことができたらと思う。そのプロセスは知識の集積ではない。自分の経験を理論化することによって編まれた「身体的言語」であると思う。

以上のことを総合すると、結局、教える側も学び続けていかなければいけないということなのだ。

何にしても、教えられる側が、自分の思う通りにできるようになるまで、時間がかかる。そこに到るまでには、同じことを、たった一人で繰り返しやっていかなければならない。その繰り返しに、方向付けを与え、飽きないように励まし、たった一人ではないのだ、と勇気づけることが、おそらく、教える側のやらなければならないことだと思う。

そうして、教える側も、思い通りに教えられるようになるまで、時間がかかるということを覚悟しなければならないだろう。教え始めて、三十有余年経てもいまだに、未熟を感じている。教える側は、同時に学ぶ側でもある。そうして、学ぼうと思うときは、教える側であるか否かに関わらず、やはり導き手を探さなければならない。

教えることは、難しい。けれど、教えることによって勉強させてもらっている。これは、つくづく思うことだ。こうやって、また頑張っていれば、何年かしたら、もう少しましな先生になれるんじゃないかと思い続けている・・・・。

でも・・・

最初の「生業」を、「せいぎょう」と読めるけど、ここで「なりわい」と読んでくれない語彙力不足の子たちに、分かってもらえる力をつけていくには、まだまだ努力が必要なんだろうなあ。

先生の文章、もう一度はじめから、読んでみて!

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勉強法での質問とTOCの答え Q1単語の覚え方 Q2音読のやり方

投稿日: 更新日:

 

英語編

Q. 単語がなかなか覚えられないんです。何回も書くんですけど、すぐに忘れてしまうんです。 

(中2・男子,高2・男子)

いtangono

単語の覚え方

A. 単語もそうだけど、いわゆる短期記憶の苦手な人は、見ながら書いて覚えようとする癖がある人が多いですよ。見ながら書いても単に書き写しただけになって、頭にはなかなか入ってこないんですよね。

 実は他の科目でも同じなんだけどね。英語と違って他の科目の場合は、覚えることと関連する周辺事項を多く持っている場合が多いので、英単語ほどには気づかない場合があるというだけなんですよね。

 ということは、英語でも語彙が増えればどんどん吸着力がついてくるということなんですよ。

で、見ながら書いて、書き写して覚えてはダメということで、ではどうすればいいか、ということですがその方法は、

数秒あるいは一瞬でもいいから確実に覚えて、それを音声とともに書き出す。

これしか無いんですよ。なーんだ、がっかりした?でも、こうした超短期記憶と記憶の出力を繰り返していると、記憶力は高まってくるんですよ。今まで書き写してきた人は、楽だったんだよ。勉強している気になれるしね。一瞬でも確実に覚えて、声に出して書き出す。これを続けるには、かなりパワーがいるんですよ。まあ、だからやってこなかったんだけどね。誰にも近道傾向はありますからね。

 

具体的な方法は、

まず単語と意味読んでみる。

つぎに意味だけ読んで単語を見ないで発音できるようになるまでやります

その後で、数秒あるいは一瞬でもいいから確実に覚えて、それを音声とともに書き出す。

書けなかったら、もう1度、単語のスペリング意味発音確認して、再度挑戦する。

1度覚えたら、(理想は1日3回繰り返す)

その後は3日間連続見るようにして1週間後に1回目と同じようにまた書いて覚えているかを確認するんだ。

そのときに「もう覚えた」という手ごたえがあるかに注意することが大事なんだよ。やればやるほど記憶力は高まってくるんだ。脳の回路が太くなるからだよ。シッカリ!

追加

* CDを利用して何度も何度も高速で繰り返す。

* 少ない単語を丁寧にやるより、多くの単語を繰り返す。

Q.音読って何ですか?ただ読めばいいのですか。それで成績上がるんですか?

  (高1・女子、中3女子)

 

音読の効果

A.勉強が得意な人ほど、音読の効果を知っています。といっても、むやみやたらに声を出すわけではありません。

覚えたいものをつぶやいたり理解しにくいものを読み上げてみたりする程度でも十分効果があります。見て、書いて、声に出して読んで、聞く。味わえば?まさに五感を使っての勉強です。特に英語長文古文・漢文の読解。社会や理科でも高い効果があります。けれど、ただ声に出せばいいというものではありません。

英語なら、文法に基づいて理解しながら、丁寧に、声に出して読む。まず正確さがあって、その次に速さが生まれてくる。

繰り返していく過程で、速さが身に付いてきます。

今年、難関の阪大歯学部に合格した緒方先生から特に以下のコメントがあります。

『僕は、英語、特に長文読解問題に苦手意識を持っていたので、参考書を毎日30分程度音読していました。

方法ですが、僕の場合、「速読英熟語」の長文を

英文は見ず、付録のCDでネイティブの音声を2・3回聴く

次に、英文を見ながら、CDの音声を聴き、本文を目で追う。

CDは使わず、できるだけネイティブの発音を真似しながら5~10回程度英文を大きな声で音読する。

これらのことを約30分かけて毎日やっていました。

注意することとして、単にダラダラ音読してもあまり効果がないので、CDの音声を注意して聴き、抑揚本文のどこで区切れを入れているかをとにかく真似するようにしました

また英文を読みながら、同時にその部分の意味を頭の中で追っていくことも、とても意識しました。

以上の事をほぼ毎日繰り返した結果、英文を読む速度がとても向上しました。

また英文を読んで、英語の語順のまま意味を理解する力も良く身についたと思います。

さらに、毎日英語に触れることで英語に対する苦手意識はなくなり英語のリズムも体で覚えることができました

良かったら参考にしてみてください。』

注(高畑)・使っていた本を見せてもらいましたが、

50題あった長文すべてに、上記の①~③のサイクルを1回ごと、正の字にマークを続け、

1題平均20回、最大で27回繰り返した長文がありました。

TOCの窓 会報誌 過去掲載抜粋 No.60~54

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TOC徳塾 ニュースレター NO.60

父性の復権

久しぶりに台風が上陸しそうですが、備えはよろしいでしょうか。さて夏も過ぎ、いよいよ勉強に運動に本腰がかかってきた頃ではないでしょうか。テスト結果などを見ながら今後の方針を真剣に考える時期であろうと思います。個別相談にお応えしますので、どうぞお問い合わせください。             今回は、今までの私の拙い文章とは趣をかえまして、経済学博士の林 道義先生のエッセイを引用させていただきます.
筆者は1937~長野県生まれ。専攻は深層心理学で、「無意識の人間学」「ユング心理学と日本神話」などがあります。

   父性の復権


 

父が父でなくなっている。父が父の役割を果たしていない。家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えるという父の役割が消えかかっている。その結果、家族はバラバラになって、いわゆる「()ホテル家族」となり、善悪の感覚のない人間が成長し、全体的視点のない利己的な人間や無気力な人間が増えている。
  
  父としての役割は立派な父でないと果たすことができない。立派でない父が家族を統合しようとし、理念を掲げても、家族から無視されるだけである。立派な父が必要とされているのに、しかしその立派な父が育ちにくいのが現代社会である。
   
 そもそも「立派」などというものが流行(はや)らない世の中なのだ。自らの欲望をコントロールし,全体の将来を考えてリーダーシップをとり、各成員の調停をして取りまとめ、ルールを教えるという立派な人格」は、尊敬の対象にはなりにくい。

 「正直」だの「誠実」だのという抽象的な徳目を唱える父親は、子供たちから煙たがられる。あまり立派でない、むしろだらしのないくらいの父親のほうが親しまれることになる。「ありのまま」がよいとされ、「立派」なのは無理していると見られ、不自然だとみなされる。
 
 父でなくなった父の典型が「友だちのような父親」である。彼らは上下の関係を意識的に捨ててしまった。価値観を押しつけることは絶対にしない。子供の自主性を重んじて決して強制はしない。何をするのも自由放任である。しかしそういう父親の子供は、「自由な意志」を持つようにはなるが、「よい意志」を持つようにはならない。精神力がなく無気力になりがちなので、簡単に不登校になったり、逆にわがままになると「いじめ」に走ったりする。
 
 いじめっ子の出来方は、わがまま犬の出来方によく似ている。飼い主の言うことをきかないわがまま犬は、飼い主が自由放任でルールを教えなかったために生まれるのである。犬の意志を尊重して、犬の要求を何でもきいてやっていると、犬は自分が主人だと思って自由意思を持ち、勝手に要求をして、やたらと吠えるようになる。飼い主が父として原則・理念と生活規則を教え、一定の我慢をすることを教えないと、子どもでも犬でも同じようにわがままに育ってしまうのである。
 
 「友だちのような父親」はじつは父ではない。父は子どもに文化を伝える者である。伝えるとはある意味では価値観を押しつけることである。自分が真に価値あると思った文化を教え込むのが父の最も大切な役割である。上下の関係があり、権威を持っていて初めてそれができる。
 しかし、対等の関係では、文化を伝えることも、生活規則、社会規範を教えることもできない。
「もの分りのいい父親」は父の役割を果たすことのできなくなった父と言うべきである。

 

☆注「ホテル家族」それぞれ自分の部屋を持ち、食事の時間も違って、顔をあわせることも少ない家族のこと。

 


 ちょっとひとやすみ 

   元気が出る名言集 


 

私の最大の栄光は、一度も失敗しないことでなく、倒れるごとにおきることにある。
            byゴールドスミス

 

挑戦とは、大きなことをするのではない。明日する小さなことを、今日することだ。  
☆   私の見方からすると、虹が欲しけりゃ、雨は我慢しなきゃ行けない。
byドリー・パートン

 

遅くなっても全然行かないよりはマシだ。
byリヴィ

 

明日は何とかなると思う馬鹿者。今日でさえ遅過ぎるのだ。賢者はもう昨日済ましている。
byクーリー

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TOC徳塾 ニュースレターNO.59

   帰国子女入試の対策に関連して

    作文力をつける

  

  帰国子女枠の作文入試

帰国子女枠での作文入試では、作文によってその生徒の基礎学力を見るとともに、家庭における教育力を見るねらいもあるようです。

海外生活を経験していない子と比べると、大きな違いがあるのですが、帰国子女同士のあいだでは、海外生活で何を経験したかということは、子供によってそれほど大きな差があるわけではありません。

しかし、その経験がその後の自分の人生にどう生きているかという価値的な部分は、そういうことを考えたことのない子には書けません。
しかし、そのような考えを子供が自然にするようになる年齢は、もっとずっとあとです。そこで、家庭でその経験を話し合う必要があるのです。
帰国子女ですから、日本語の表記力そのものはそれほど厳しくは問われません。もちろん、誤字・脱字は減点対象です。しかし、考える力そのものは、何語で考えても自然に出てきます。日本語で深い考えができない子は、英語でもほかの言葉でもやはり深い考えはできません。
その考えは、主に両親との対話の中で育ちます。帰国子女入試で作文対策をする場合、まず家庭でいろいろなテーマについて話し合う習慣を作っていくことが大切です。

  作文の書き方のコツ その壱

   「読む力をつける」

作文を書く力は、読む力に比例しています文章を読むのが得意な子は、自分の書く作文にも自然にふだん読んでいる文章を生かすことができます。反対に、読む量の少ない子は、作文を書く練習だけ続けてもなかなか文章力は上達しません。
作文力をつけるためには、遠回りのようですが、まず読む力をつけることが大切です。しかし、ただ単に文章を読むだけでは、それを作文に生かすことはできません。入試の課題として出される作文の多くは、説明文や意見文です。したがって、読む文章も説明文意見文を中心にしていく必要があります。

そのためにも、論理的に文章を読む力が絶対的に必要となってきます。

今 の小学校では、この点を強く意識された授業は行われてはいません。さまざまな家庭環境(対話・読書・家族の興味・関心等)の違い、それらが積み重なって培 われてきた基礎能力の違いがあまりにも大きくなっていて、高学年となるほど、一斉授業では高度で微妙な調整を必要とする内容を展開することは物理的に不可 能な状態となっているからです。

TOCでの「論理力を鍛える」の個別授業を最重視してください日本語を論理的に読むための読む力、考えるための読む力、答えるための考える力・書く力を養っていきます。

今 年、TOCの六甲高校生が、神戸大学文学部に後期合格しましたが、後期入試はセンター+論文だけです。もちろん、このTOCの勉強法で合格を果たしたので す。また、今年卒業した赤澤先生も神戸大学発達科学部の後期入試でセンター+論文で合格しました。さらに、旧帝大の九州大歯学部に合格した私の次男もセン ター+英語論文・日本語論文で合格しました。実績としての例はいくつもあります

そして何よりも、この論理力は作文の力だけでなく、すべての科目を支える力となるのです。いわゆる、国語力・読解力・思考力・応用力等いろんな表現をされていますが、根本はこれです。だから、大学入試から中学入試とレベルは違っても、進めるステップは同じです。

小学生は、読む力を付けた後は、説明文や意見文の多い文章として、教科書、小学生新聞、国語の問題集などを、毎日時間を決めて、読む練習をしていきましょう。ポイントは音読です。

  作文の書き方のコツ その弐

   「書き慣れる」

小学校高学年の生徒は、学校でも作文を書く機会が減ってきます。そのため、指定の時間に必要な字数までを書き上げられない子もかなりいます。

少 し技術的ですが、速く長く書くためのコツは、一つには書きながらたびたび読み返さないことです。始めに、しっかりと作文構成をしたあとは、論理的なつなが りを考えきっちりと書いていきます。読み返すのは、作文を全部書き終わってからです。書いている最中に読み返す子は、すぐに消しゴムを使って直したがりま す。消しゴムを使って書き直すと、文章を書くスピードが極端に落ちます。書いてすぐ直すような書き方ではなく、直す必要のない文章を最初から書いていく習慣をつけることです。
文章を書く練習は、ほかの勉強よりもはるかに負担の大きいものです。家族が協力して、定期的に文章を書く時間を確保してあげる必要があります。

  作文の書き方のコツ その参

   「親子の対話」

中学入試の作文には、家庭の文化が反映します。ふだんから、家族でいろいろな会話をしている家庭では、作文にもその雰囲気が出てきます。
子供の生活経験はまだ幅が狭いので、父親や母親が、その経験を広げてあげる必要があります。例えば、「小学校時代に印象に残ったこと」というテーマで書く場合、子供は単純に、印象に残ったことを書きます。このときに、父親なり母親なりが自分自身の経験をもとにして、小学校時代の経験がその後の人生にどうつながったかを話してあげると、子供の視野は広がります。
小学生で読みごたえのある感想を書ける生徒は、例外なく家庭での会話が充実しています。毎日の夕食の時間に話をする時間を取るのが難しければ、土曜日や日曜日の夕食の時間に、ニュースなどを話題にして話をする習慣をつけていきましょう

その際に大事なことは、子供の意見を聞いてあげることではありません。親が自分の考えをどんどん話してあげることです。やがて、子供も自分なりに自分の考えを話すようになってきます。

我が家では、私の仕事柄、平日は全く子供と顔を合わせることができなかったので、3歳ごろから社会科ノートを使って絵日記で、3人とも以降4年生まで交換日記を続けていました。いやー、大変でした!

   読むことと書くことを結びつけた作文の教育

作文指導は、読む練習と書く練習が密接に結びついています。
読む力をつけることによって書く力が伸び、書く力をつけることによって更に深く読むことができるというのが、「論理力を鍛える」の特徴です。
私たちは、受験に合格するためだけの読書指導や作文指導ではなく、子供たちの将来の人生に役立つような日本語の指導をしていきたいと思っています。

実際に、作文の勉強は他の勉強よりも精神的なエネルギーを必要とします。夏休みの読書感想文の宿題がなかなか書けなかった経験を持つ方も多いと思います。作文を書くことは、問題集を解くこととは違う集中力を必要とするのです。文章読解能力としての基礎力養成の最終形となります。

   公立中高一貫校での作文入試

公立中高一貫校の入試や、公立高校の推薦入試さらに大学でのAO入試・後期入試などで、作文能力のウェイトが高まっています。これは、科目成績とは別の尺度で受験生を評価しようとすると、どうしても文章を書かせるような問題が中心にならざるを得ないからです。
しかし、これらの試験の内容は、特に中学・高校推薦入試では、どこに評価の基準があるのかはっきりしません。形式的な書き方というのはもちろんあります。しかし、内容で優劣をつける明確な基準というものははっきりしていないのです。

実は、これはやむを得ないことなのです。作文入試は論文入試とは異なるからです。問題の論文から論点を見つけて、通説・反対説を挙げ、自説の妥当性を理由づけていくというのが論文の基本的な型です。ところが、作文はあくまで主観を展開していくものです。この開示された主観としての作文の試験で、主観の内容に対して、明確な評価の基準を出して、その採点結果を公表しようものなら、混乱することは目に見えているからです。思 想の統制になりかねない。したがって、作文の評価で客観的に公開できるものは、誤字と字数ぐらいとなるのです。それ以外の、構成・題材・表現・主題など は、採点者による個人差があまりに大きいために、客観的な評価というものは,よほど上手下手がはっきりしているもの以外はあり得ないからです。

しかし、だからこそ、対策がとれるのです。採点者の個人差が大きいといっても、文系教員としての知的従事者の公約数的共通項はあるからです。

ここではこれ以上細かく書けないので、以降は授業で展開します。
これらを踏まえて、まず第一に、作文試験で大事なことは、誤字をなくして、字数をいっぱいまで埋めるということになります
作文試験をする学校によっては、短時間に大人でも書き上げることが難しいような長い字数の作文課題を課すところがあります。これは、作文の内容よりも、ま ず字数で大部分の足切りを行っているのだと考えられます。短時間で長い字数を書く力は、確かに作文の実力と高い相関がありますが、字数だけでほとんどの採 点をしてしまうというのではやはり問題があるでしょう。ただ、そういう学校もあるそうです。

ところで、800字程度の文章で1〜2ヶ所誤字のある生徒が、誤字の全くない文章を書けるようになるには、1年ぐらいかかります。誤字というと、簡単に直せることのように思われがちですが、実は、表面に表れた誤字は、その下にあるその人の膨大な誤字の蓄積の反映なのです。しかも、誤字の多くは、本人にとって自覚されていないという問題があります。誤字は、実際に書いて間違えたものを一つずつ覚えていくような勉強の仕方で直すしかありません
さて、誤字がなく、字数もいっぱいまで埋められる人は、どこに注意をして作文を書いていったらいいのでしょうか。
人間の評価には、不思議な特徴があります。それは、全体的によく書けている文章よりも、どこかに光る場所がある文章の方に高い評価を与えがちだということです。反対に、どこかに誤表記があると、それだけで全体の評価は実力よりもずっと下がります。つまり、全体に90点の文章を書くよりも、全体が80点で一ヶ所100点のところがある文章の方が評価は高くなることが多いのです

特に印象に残る1ヶ所は、結びの部分です。上手な作文は、途中が上手であるよりも、結びに光る表現があるという特徴を持っています

結びを上手に書くコツは、小学生の場合は一般化した形で感想を書くことです。中学生以上の場合は、自作名言を入れて意見を書くことです。いずれも考える力が必要なのですぐにはできないかもしれませんが、これから作文試験を受ける人は、このことを心がけていきましょう。

これ以降の具体的な対策は、授業ですすめます。

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TOC徳塾ニュースレター    NO.58

 復習はいつする?

エビングハウスの忘却曲線というのがあります。長期記憶の忘却を表す曲線です。心理学者のヘルマン・エビングハウスによって導かれました。本屋さんにある勉強法に必ず登場してくる理論です。
覚えたことは、一日の間に、急激な忘却が起き、その後の忘却は緩やかに起こる、というものです。
再認可能な忘却と完全忘却を区別していないという批判もありますが、学校の勉強ではペーパーに書くことができるかどうかで評価されますので、この実験結果を利用した勉強方法は有効と考えられています。

最初の20分後に42%忘却、1時間後に56%忘却、1日後に74%忘却、1週間後に77%忘却という形で推移していきます。最初にドサッと忘れて、後は徐々に忘れていくということです。
しかし同じ内容を、繰り返すと今度は忘却率が下がっていくことが示されています。上表の2回目・3回目のように。
これは、普段の学習の際に、間違った問題は解答・解説を理解した後に、その場ですぐに解きなおすことが非常に重要なポイントになるということを示していま す!さらに、理解できない問題は出来るだけスグに先生に質問し疑問を解消して、そしてやはりスグに解きなおすことが大事なのです。まず、これが絶対に必 要!

さらに、すぐに復習することも忘れてはいけない。理解した問題は1-2週間後にでも復習すればいいや…そんな風に考えていては、一番おいしい時期を逃がしてしまう。
間違えた問題は、必ず次の日に復習する。そして3日後にも復習する。その後は1週間後に1回、2週間後もう1回復習するのが目安です。すぐ後の解きなおしに、次の日からの4回の復習!
実力がついてくれば復習のタイミングも変わってくるけど、中学生や高校生の入門段階にいる人は、この復習間隔を守ってほしい。
数学・理科・社会であれば問題を書いて、もう一度解こう。英語・古文・漢文の場合には問題を解くだけでなく、問われていた知識を理解できているかを確認しよう。
直しノートは、すぐ後の解きなおしの時でなく、次の日の復習の時に作る方が効果が高い。3日後、1週間後、2週間後の復習の時に絶大な効果を発揮するのが 直しノートなのです。直しノートを作っているのに成績に変動のない人は、この復習をやっていないだけです。原因ははっきりしているのです。TOCでは、こ の方法を続けて、神戸高校さらに難関大学に進んでいった先輩は何人もいます。

後は、あなたがやるだけなのです。

ちょっとひとやすみ

バーベキュー

先日、高畑塾長の自宅でバーベキューをしました。
ポーアイ校の下田先生と豊島先生、本山校の奥野先生と緒方先生が参加しました。みんなでいろいろ焼いて、話して食べて飲んで楽しかったです。生徒のみんなの話もいろいろ出ましたよ。緒方先生の阪大歯学部合格祝いを兼ねて、盛大にうちあげました。
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TOCの窓 ニュースレター    NO.57

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英語学習の方法 (大学受験生向け)

投稿日: 更新日:

英語学習の方法(秘伝)    

                                        平成21年8月17日

 
高1・2進研国語記述偏差値55を下回る人は
この内容を正しく読み取れません。

1) 文法学習

まず、文法学習の目的を意識する。あくまで、<英語を理解・運用できるようになるため>

という目的を忘れてはいけません。

文法のための文法ではないのです。

◎ 文法問題を始めて解くときは、必ず英文をノートに書いて学習することです。

分かったつもりを防止し、英語に対する慣れを生むことが狙いなので、記憶するまでは必要

ありません。

しかし英語学習全体に大きな影響を与える重要なポイントです。

復習時には必要が無い限り書かなくてもいいでしょう。

 

◎ もう一つの注意点は、【いったい何が理解なのか】を自分なりに考え捉える事です。

例えば「英語の時制は直線上にあることを明確に認識する」現在・過去・未来・現在完了・

仮定法等すべてこの観点からとらえる。これが理解になります。

具体的には、個々的に限定的に捉えるのではなく文法書で知識に幅を与える方法をとります。

どこまでその幅を広げるかについては、学習の段階で異なってきます。

中学校段階では、問題を解けるだけのルールを記憶すれば十分ですが、高校段階では解法

の適用条件を知っていなければ通用しません。

つまり解法を選択する理由が問題文のどこに書かれているかが分からないと、応用問題に

対応できなくなっていきます。このことを高校生は特に確認してください。

ちょっと表現が難しいので、もっと単純化すると「この問題はどんな知識を要求しているか。

そして自分はそれを覚えているかを意識すること。

単に問題を解けるようになるだけでは、将来点数につながらないということです。

具体例を挙げると、

Mary was so tired she ( ) down and slept.

①laid ② lied ③ lain ④ lay

「どれが正解かな」と考えたり、「そうか!④が正解なんだ」と覚えたりするのは最低の学習です。

 自動詞と他動詞の区別(lie/layの区別)、嘘をつくのlieとの区別などができているかを確認

する。それが「解く」。

重要な情報をまとめて覚えることが「学習」。

答えを覚えることが文法の勉強だと思っている人が多いようだけど、問題はあくまで具体例に

しか過ぎない。

出題されている知識を理解し、まとめながら勉強しよう。

 

2) 単語学習の方法

短期間で合格点を取ろうとした場合、単語帳で最低限の単語の記憶を行うべきです。

中学生の場合、教科書の最後にある単語リストの欄をまず利用するべきです。

高校生の場合、学校で配布される単語集「システム英単語」「ターゲット1900」「データベー

ス」等を利用するのが効果的です。

そして必ず音声CDを使って学習しましょう(前2つについてはTOCにCDがあります。貸出でき

るので、ipodなどに入れて利用して下さい)。

CDは正しく使用すれば、定着率が飛躍的に向上します。

(音声を用いることで、記憶に留まりやすくなる)・(正しい発音を知ることで、単語の類推能力

が上がる)・(毎日一定量を学習するきっかけになる)がその原因だと考えます。

「初めての覚え方」と「定着のさせ方」とに分けて示します。

 

◎初めての覚え方

単語を一度定着させるまでの学習方法は、1ヶ月単位で進めます。

その単語が抜けていかないようするケアを含め、前進していきます。

学習できる量は1週間で150~200語・1ヶ月で450~600語>が目安となります。

月の目標量を設定したら、各週に150~200語ずつ配分し、さらに1週間の前半と後半で半分ず

つに分割します。

1~3日目までの流れを2回、1日は復習です。

 

1日目:音声を聞きながら、100語の単語のスペルと意味を一つずつ確認します。

この際ミニマムフレーズ・例文中の意味だけ押さえれば十分です。

続いて、音声を聞き、発音しながら単語を書きます。スペルが不明の場合、その場で確認して

書きます。

次に、単語を発音しながら英単語をもう一度書き、日本語の意味が出てくるまで繰り返します。

1つの単語を5回も10回も繰り返し書くのではなく、100語全体を3回程度書きます。

仕上げに、音声を聞き、発音しながら単語を読みます。80%以上の単語を覚えていれば十分

です。

 

2日目:<音声を聞きながら、英単語から日本語を思い出す>

・<英単語を読み、すべての日本語の意味が出てくるか確認>

・<音声を聞きながら、単語帳の英単語の発音がわかるか確認>

の3つのチェックをします。定着度が低い単語は、やはり発音しながら書いて覚えましょう。

3日目:音声を聞きながら、英単語をチェックします。この時日本語が分かればよしとしないことです。

綴りから発音が、発音から英単語が思い浮かぶことが重要です。

仕上げに、全体の単語を発音しながら書き、日本語の意味が出てくるかチェックします。

 

◎記憶定着の仕方 <単語帳は、読むのではなく、見る>

高速単語学習法:速さを意識し、代わりに学習回数を増やす方法。

音声を聞きながら単語と訳を読むだけで、すぐ次の単語に移ります。

この時、単語を見た瞬間に訳が思い出せていることが重要です。

1日の間に、この方法で10分を3~4回学習します。

記憶が定着していない時には80~100語程度が限界ですが、慣れてくると10分で200~

300語程度復習できます。

また、最後までなかなか覚えられないような単語はチェックしておき、<初めての覚え方>

を参考にして新たに覚えなおしましょう。

 

◎何回も見たはずの単語が長文中で分からなかったという症状

<正確に覚えたことが無い>

・<今までに見た回数が少ない>

・<一つの意味しか知らない>のいずれかが原因です。

解決する方法は、<書いて確実に覚える>

・<高速で進め、見る回数を増やす>

・<読んでいる長文で未知の単語に出会ったら、その後で必ず確認し、その場で一度は覚

える>

・<辞書や単語帳で多義語を確認する>という単純極まりないものです。

「単語は長文中で覚える」「見て覚えて一度も書かなくてよい」「じっくり確実に」という言葉は

どれも事実ではありますが、

それだけで正解と呼べるものではありません。単語学習だけを考えても、こういったバランス

が必要です。

 

3) 英文解釈

 

①特に注意する点

<どこにSV○○をつけるかを覚えることが英文解釈である。

また、解説を読む際に意識することは、どこがSV○○なのかということである>という認識が、

多くの受験生にあるようです。

ベリタスの坂木先生は解説者の立場上、英文構造の分析をする必要性から一文ごとにSV○○

をつけているのであり、皆が問題を解く際に、それを真似る必要性は全くないのです。

こうした誤った認識を持った受験生は、長文読解の際にせっせとSV○○を打ちながら解き、

時間切れになります。

最悪なのは、SV○○といった要素を捉える事が至上命題となり、長文を学習するときに和訳

から読み、要素を決定していくことを繰り返し、問題を解かなくなることです。

まず点数が伸びなくなります。

このことに注意して、<求められた場合において、自然にSV○○を決定できる方法>を学

びましょう。

 

②2種類の解釈力

試験場で英文を正面から受け止め、設問を処理することが入試における目標です。

そのためには二つの解釈力を頭に入れておく必要があります。

意識下の構文の把握を行う解釈力:

より正確な文章読解を行うために、明確な根拠を持って解答すべき箇所である文脈上

重要箇所・設問該当箇所(下線部、補充部、説明問題の該当部)について、

解釈の学習によって身に付けた方法により明確な役割を与えることです。

逆に、文脈が高度な並列関係の把握において重要になるように、

文章全体を読む力が1文を読む支えとなることも忘れてはいけません。

無意識下の構文の把握を行う解釈力:

文脈上重要箇所・設問該当箇所以外の文を、文法的役割を特に意識することなく、

左から右へ読解することです。

むろん、その人の到達レベルによって読める程度は全く異なります。

以上の事を踏まえ、明確な根拠をもって解答すべき箇所に対しては意識下の

構文の把握を行い、

得点に大きく貢献しない箇所は無意識化の構文の把握を行うことで素早く読む

読解スタイルを目指します。

 

③段階的な英文解釈学習 

 進学希望の大学レベル、必要となる学力によって、求められる英文解釈の

能力も当然変化します。

まずは、文法から解釈へのつなぎの学習が必要になります

次に、関係詞・比較・倒置・省略・並立関係を含む、少し複雑な英文を素材にして、

SV○○・修飾の決定法の基本を学び、やさしめの長文を通して定着させます。

ここまで学習すれば、センター試験の英文のほとんどを無意識の構文把握で

読み進めることができます。

   実証されています。後は貴方がヤルだけ!

                                              

帰国子女入試の対策に関連して   作文力をつける

投稿日: 更新日:

 

 

 

帰国子女入試の対策に関連して

                                                                      平成21年9月10日

 

作文力をつける

 

帰国子女枠の作文入試

帰国子女枠での作文入試では、作文によってその生徒の基礎学力を見るとともに、家庭における教育力を見るねらいもあるようです。

海外生活を経験していない子と比べると、大きな違いがあるのですが、帰国子女同士のあいだでは、海外生活で何を経験したかということは、子供によってそれほど大きな差があるわけではありません。

しかし、その経験がその後の自分の人生にどう生きているかという価値的な部分は、そういうことを考えたことのない子には書けません。
しかし、そのような考えを子供が自然にするようになる年齢は、もっとずっとあとです。そこで、家庭でその経験を話し合う必要があるのです。
帰国子女ですから、日本語の表記力そのものはそれほど厳しくは問われません。もちろん、誤字・脱字は減点対象です。しかし、考える力そのものは、何語で考えても自然に出てきます。日本語で深い考えができない子は、英語でもほかの言葉でもやはり深い考えはできません。
その考えは、主に両親との対話の中で育ちます。帰国子女入試で作文対策をする場合、まず家庭でいろいろなテーマについて話し合う習慣を作っていくことが大切です。

作文の書き方のコツ その壱

「読む力をつける」

作文を書く力は、読む力に比例しています文章を読むのが得意な子は、自分の書く作文にも自然にふだん読んでいる文章を生かすことができます。反対に、読む量の少ない子は、作文を書く練習だけ続けてもなかなか文章力は上達しません。
作文力をつけるためには、遠回りのようですが、まず読む力をつけることが大切です。しかし、ただ単に文章を読むだけでは、それを作文に生かすことはできません。入試の課題として出される作文の多くは、説明文や意見文です。したがって、読む文章も説明文意見文を中心にしていく必要があります。

そのためにも、論理的に文章を読む力が絶対的に必要となってきます。

今 の小学校では、この点を強く意識された授業は行われてはいません。さまざまな家庭環境(対話・読書・家族の興味・関心等)の違い、それらが積み重なって培 われてきた基礎能力の違いがあまりにも大きくなっていて、高学年となるほど、一斉授業では高度で微妙な調整を必要とする内容を展開することは物理的に不可 能な状態となっているからです。

TOCでの「論理力を鍛える」の個別授業を最重視してください日本語を論理的に読むための読む力、考えるための読む力、答えるための考える力・書く力を養っていきます。

今 年、TOCの六甲高校生が、神戸大学文学部に後期合格しましたが、後期入試はセンター+論文だけです。もちろん、このTOCの勉強法で合格を果たしたので す。また、今年卒業した赤澤先生も神戸大学発達科学部の後期入試でセンター+論文で合格しました。さらに、旧帝大の九州大歯学部に合格した私の次男もセン ター+英語論文・日本語論文で合格しました。実績としての例はいくつもあります

そして何よりも、この論理力は作文の力だけでなく、すべての科目を支える力となるのです。いわゆる、国語力・読解力・思考力・応用力等いろんな表現をされていますが、根本はこれです。だから、大学入試から中学入試とレベルは違っても、進めるステップは同じです。

小学生は、読む力を付けた後は、説明文や意見文の多い文章として、教科書、小学生新聞、国語の問題集などを、毎日時間を決めて、読む練習をしていきましょう。ポイントは音読です。

作文の書き方のコツ その弐

 

「書き慣れる」

小学校高学年の生徒は、学校でも作文を書く機会が減ってきます。そのため、指定の時間に必要な字数までを書き上げられない子もかなりいます。

少し技術的ですが、速く長く書くためのコツは、一つには書きながらたびたび読み返さないことです。始めに、しっかりと作文構成をしたあとは、論理的なつな がりを考えきっちりと書いていきます。読み返すのは、作文を全部書き終わってからです。書いている最中に読み返す子は、すぐに消しゴムを使って直したがり ます。消しゴムを使って書き直すと、文章を書くスピードが極端に落ちます。書いてすぐ直すような書き方ではなく、直す必要のない文章を最初から書いていく習慣をつけることです。
文章を書く練習は、ほかの勉強よりもはるかに負担の大きいものです。家族が協力して、定期的に文章を書く時間を確保してあげる必要があります。

作文の書き方のコツ その参

 

「親子の対話」

中学入試の作文には、家庭の文化が反映します。ふだんから、家族でいろいろな会話をしている家庭では、作文にもその雰囲気が出てきます。
子供の生活経験はまだ幅が狭いので、父親や母親が、その経験を広げてあげる必要があります。例えば、「小学校時代に印象に残ったこと」というテーマで書く場合、子供は単純に、印象に残ったことを書きます。このときに、父親なり母親なりが自分自身の経験をもとにして、小学校時代の経験がその後の人生にどうつながったかを話してあげると、子供の視野は広がります。
小学生で読みごたえのある感想を書ける生徒は、例外なく家庭での会話が充実しています。毎日の夕食の時間に話をする時間を取るのが難しければ、土曜日や日曜日の夕食の時間に、ニュースなどを話題にして話をする習慣をつけていきましょう

その際に大事なことは、子供の意見を聞いてあげることではありません。親が自分の考えをどんどん話してあげることです。やがて、子供も自分なりに自分の考えを話すようになってきます。

我が家では、私の仕事柄、平日は全く子供と顔を合わせることができなかったので、3歳ごろから社会科ノートを使って絵日記で、3人とも以降4年生まで交換日記を続けていました。いやー、大変でした!

 

読むことと書くことを結びつけた作文の教育

作文指導は、読む練習と書く練習が密接に結びついています。
読む力をつけることによって書く力が伸び、書く力をつけることによって更に深く読むことができるというのが、「論理力を鍛える」の特徴です。
私たちは、受験に合格するためだけの読書指導や作文指導ではなく、子供たちの将来の人生に役立つような日本語の指導をしていきたいと思っています。

実際に、作文の勉強は他の勉強よりも精神的なエネルギーを必要とします。夏休みの読書感想文の宿題がなかなか書けなかった経験を持つ方も多いと思います。作文を書くことは、問題集を解くこととは違う集中力を必要とするのです。文章読解能力としての基礎力養成の最終形となります。

 

公立中高一貫校での作文入試

公立中高一貫校の入試や、公立高校の推薦入試さらに大学でのAO入試・後期入試などで、作文能力のウェイトが高まっています。これは、科目成績とは別の尺度で受験生を評価しようとすると、どうしても文章を書かせるような問題が中心にならざるを得ないからです。
しかし、これらの試験の内容は、特に中学・高校推薦入試では、どこに評価の基準があるのかはっきりしません。形式的な書き方というのはもちろんあります。しかし、内容で優劣をつける明確な基準というものははっきりしていないのです。

実は、これはやむを得ないことなのです。作文入試は論文入試とは異なるからです。問題の論文から論点を見つけて、通説・反対説を挙げ、自説の妥当性を理由づけていくというのが論文の基本的な型です。ところが、作文はあくまで主観を展開していくものです。この開示された主観としての作文の試験で、主観の内容に対して、明確な評価の基準を出して、その採点結果を公表しようものなら、混乱することは目に見えているからです。思 想の統制になりかねない。したがって、作文の評価で客観的に公開できるものは、誤字と字数ぐらいとなるのです。それ以外の、構成・題材・表現・主題など は、採点者による個人差があまりに大きいために、客観的な評価というものは,よほど上手下手がはっきりしているもの以外はあり得ないからです。

しかし、だからこそ、対策がとれるのです。採点者の個人差が大きいといっても、文系教員としての知的従事者の公約数的共通項はあるからです。

ここではこれ以上細かく書けないので、以降は授業で展開します。
これらを踏まえて、まず第一に、作文試験で大事なことは、誤字をなくして、字数をいっぱいまで埋めるということになります
作文試験をする学校によっては、短時間に大人でも書き上げることが難しいような長い字数の作文課題を課すところがあります。これは、作文の内容よりも、 まず字数で大部分の足切りを行っているのだと考えられます。短時間で長い字数を書く力は、確かに作文の実力と高い相関がありますが、字数だけでほとんどの 採点をしてしまうというのではやはり問題があるでしょう。ただ、そういう学校もあるそうです。

ところで、800字程度の文章で1〜2ヶ所誤字のある生徒が、誤字の全くない文章を書けるようになるには、1年ぐらいかかります。誤字というと、簡単に直せることのように思われがちですが、実は、表面に表れた誤字は、その下にあるその人の膨大な誤字の蓄積の反映なのです。しかも、誤字の多くは、本人にとって自覚されていないという問題があります。誤字は、実際に書いて間違えたものを一つずつ覚えていくような勉強の仕方で直すしかありません
さて、誤字がなく、字数もいっぱいまで埋められる人は、どこに注意をして作文を書いていったらいいのでしょうか。
人間の評価には、不思議な特徴があります。それは、全体的によく書けている文章よりも、どこかに光る場所がある文章の方に高い評価を与えがちだということです。反対に、どこかに誤表記があると、それだけで全体の評価は実力よりもずっと下がります。つまり、全体に90点の文章を書くよりも、全体が80点で一ヶ所100点のところがある文章の方が評価は高くなることが多いのです

特に印象に残る1ヶ所は、結びの部分です。上手な作文は、途中が上手であるよりも、結びに光る表現があるという特徴を持っています

結びを上手に書くコツは、小学生の場合は一般化した形で感想を書くことです。中学生以上の場合は、自作名言を入れて意見を書くことです。いずれも考える力が必要なのですぐにはできないかもしれませんが、これから作文試験を受ける人は、このことを心がけていきましょう。

これ以降の具体的な対策は、授業ですすめます。

おすすめBOOK

 

ちびまる子ちゃんの作文教室>

(貝田桃子著)

これは、楽しく読める本です。ちびまる子ちゃんの漫画が理解を助ける形で、わかりやすく書かれています。子供がこの本を自分でどんどん読んでいき、作文 や国語の参考書代わりに使えるような形になっています。作文の書き方だけでなく、手紙の書き方、俳句の書き方、新聞の書き方、感想文の書き方、敬語の使い 方など、文章を書くことに関する国語の知識が幅広く説明されています。内容はバランスよく密度も濃いので、子供向けの国語作文の知識に関する良書と言って もいいと思います。

 

<書く力をつける>

(樋口裕一著)

小学校低学年向けの本なので、作文の本というよりも、言葉の使い方に対する問題集のような内容になっています。問題集と割り切って順番にやっていくと、国語の勉強になると思います。

高校生の勉強

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現実を直視する

                                                            2009年6月14日

単純事実から確認しましょう。大雑把に言って、神戸高校には、中学生の5~7%つまり15~20人に1人が合格しています。

東大や国公立医学部(学科試験)に合格できる実力というと、その神戸でも毎年10人以下、つまり30人に1人以下、

これは、公立中学校の450~600人に1人合格するかどうかです。浪人を含めず一つの学年で考えると、5~7校に1人出るかどうかです。

これでも分かりにくい人、イメージが浮かばない人、実数に近づけて見ましょう。つまり、これは6000人に10人、6万人に100人、60万人に1000人

東大は全学部定員が約3千人、国公立医学部全国で約5千人、合計約8千人、

東大の現役占有率がおよそ65%医学科のそれが34%を考えれば、

単純計算で、およそ300万人の中からの競争ということになるのです。

(ただ、18歳人口は135万人ですけれど・・・国・私立の合格率が高いということ)

さて質問。こうした人はドラゴン桜などで言われているような、大して優秀ではない人たちでしょうか?

勉強という点だけで見れば、優秀に決まっています。当たり前のことですが。

合格者の中でも、余裕を持って合格する人の学習法は極めて単純で、

自分にとって必要なことを学習するの1点に集約されます。

もちろん例外もあるかと思いますが、余裕のある人たちが変な学習法を選ぶ必要は無いでしょう。

そして、自分にとって必要なことを学習する技術は、学力が高くなるほど洗練されていきます。

平たく言うと、勉強ができる人はより一層勉強ができるサイクルを構築できるのです。

一方で、現状で勉強ができない人は、「次に何をやったら良いか」という選択を自分ひとりではなかなかできません。

というのも、志望校の過去問のレベルと実力がかけ離れれている時には分析のやりようが無いですし、問題集のレベルも見抜けないからです。

 

高い基礎処理能力があるなら、進級のためのテスト勉強をしていれば、

例えば数学の教科書傍用問題集スタンダード等のA問題はほぼ解ける、B問題も簡単な問題であれば解けるように必ずなります。

そしてそれだけできていれば、学力低下が起きている現在、偏差値は高1・2年の進研模試なら70は超えますし、

河合塾の高卒用記述模試でも55を下回ることはありません。

これらの模試は毎年聞いている内容(レベル)の大半が同じですから、断言できます。

 

逆に基礎処理能力に欠ける人たちは

どの科目も全体の基本を身につけるーだいたい河合記述偏差値53に対応する知識量を蓄えるまでは、数字として伸びが現れてこない。

模試は「勉強したところを同じレベルで訊いてくれるものではない」のですから、

基礎処理能力取得の入門段階では歯が立たないことだらけです。

その上、授業で理解できなかったことを自習で補おうとするわけですから、進学校で勉強している人たちより苦労するはずで、時間も当然かかる。

ところが、そんな人たちに限って

「部活をやってたので、夏のマーク模試で全国平均にも達しなかったが○○勉強法で京大へ!」というような曲芸のような勉強法にすぐ飛びつく。

上のような当たり前の事実を徹底的に無視している。本人が死ぬ気で毎日12時間以上勉強し続けて、

その上で予備校などのフォローも受けていた、というようなケースであれば、ひょっとしたら例外も出てくるかもしれませんが、

そんな勉強法には、押しなべて「そんなに努力しないで・・・毎日6~8時間くらいで・・・」だとか書かれているわけです。

至極当然のことですが、勉強の効率は、

小中学校での学力と、その時点での学力

に支配されています。

 

成績が全国平均より低いような状況では、効率的な方法を教えても、それを実行に移す力が不足している・・・

例えば、現代文では要約することで大きく力がのびます。ですが、1文をまともに読むことのできない人が要約に取り組めますか?

数学では解法を身につけることが鍵になってきますが、解法に含まれる基本的な処理を身につけていない人が、解法を覚えただけで入試問題に取り組めますか?

 

自分はどこに立っているのか、どこを修正するべきなのか。

それを考え、淡々と対策した人だけが飛躍しているのです

10の努力を100の学力にするような方法論は存在しません。

けれど、10の努力を10にする方法論ならあるかもしれない。

そして受験生の多くは10の努力で5の学力、悪ければ1の学力にしかしていない。

じゃあ、10の努力で6,7,8・・・としていけば、期日までに逆転できるはずだと思うのです。

学力低下に立ち向かう!

                                                                          2009年4月24日

学力低下はいろんな問題を持っていますが、決定的な問題はその悪循環です。

勉強が出来ない ⇒ 授業がつまらない ⇒ 学校がつまらない ⇒ 長い目で見れば無駄な遊びに浸る ⇒ より一層勉強が出来ない …

この連鎖を断ち切る役目は、家庭教育が要ではあります。

が、学校側も出来ることがあるはずです。

小学校は読み書き計算の基礎処理能力の鍛錬。

中学校なら小学校の復習を。

高校なら小中学校の復習を早朝・昼・授業開始後5分間などに取り入れるだけでかなりの違いがあるのです。

時間の限られた学習塾の集団授業では限界があります。個別指導でないと対応できません。

実際のところ、各学区で上位3番目位の高校に進学できない生徒には、小中学校での何らかの学力不足があります。

紹介されている概念を噛み砕いて理解する文章の処理能力や、

物事の繋がりを論理立てて理解する因果関係を整理する力(数式処理能力)

もっと下がって正確に日本語を読める力や、

単純基本計算力レベルで欠けています。

TOCの集団授業で、噛み砕いて教えられ、

因果関係を整理された形で覚えただけで成績を上げてランクアップした高校に進学した生徒は、

そこのところをしっかり意識してくれないと心配です。

 

特に高校では、テスト範囲を常に既習分野全てにするべきだと思います。

高3の春までに一番入門的なことを反復の仕方を教えながら身につけるよう指導すれば、

その地域の中堅どころの高校ならほとんどの生徒を志望通りに進ませることができると思います。

そして、多少なりとも「分かる」「出来る」という自信を本人たちが持ち始め、

「知らないと恥ずかしい ⇒ 自分で学ぼう」という軌道に入り始めたら高校の役目を十分に果たしていると思います。

本人が本当の意味での<最低限の誇り>を持てるのであれば、

難関大学であれ普通の大学であれ専門学校であれ就職であれ、その人にとっては良い結果を生むでしょう。

私から言わせてもらうと、進学実績などどうでもいい。

進学した結果、<自分で学び取る力>を発揮して向上していくことが重要だと確信しています。

医学部であれ、東大であれ、入学したらそれで終わりという受験生は非常に多い。

それは、与えられたことを上手にこなす子が受験において成功しやすいという事実によります。

けれど、本当にその人のためになるか――それは、受験における成功とは関係ないでしょう。

私が教える生徒には無駄に浪費するような大学生活を送ってもらいたくないと常日頃から考えています。

これを読んでいる人。

タフになってください。そして、柔軟になってください。

やることを見つめ、出来ることをすれば、正の反応が返ってきます。

自信を持って言います。

意志あるところに道は出来る。

 

そして、意志ある成功はささやかな誇りをもたらし、意志ある失敗は自分を育てる

「なんとかなる」は大事だけど、逃げ道にしちゃあ厳しいよ。

「やればできる。必ずできる。」「足もとを見つめて、基礎を固めて、しっかり続ける!」

あと何ヶ月か、忘れないでいこう。