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TOCの窓  今、賢い親は何をすべきか。    NO.134

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今、賢い親は何をすべきか。

 先日、相談があると突然教室に入ってきた母親がいました。普通なら、電話もせずに授業中突然教室を訪問すれば、迷惑になるのではないかと考えるはずです。それが最低限の常識です。しかし、複数の塾を比較してどこが一番得かという(自分の子どもに合っているかは考えない)損得勘定しか頭にないこの母親は、そう考えるだけの社会性がない。社会から要求される常識的な大人としてのふるまいができず、わがまま勝手な個を突出させる。「あるべき自己」と「わがまま勝手な自己」が一体化してしまい、自分を客観視できないのです。

 これは、私が問題だと思う子どもの特徴だったのですが、今では親までがそうなりつつあるようです。いや、親がそうだからこそ、子どもが社会性を欠落させるに至ったのだというのが真相なのかもしれません。キレる子どもの背後にはキレる親がいる可能性が高いのではないでしょうか。

 ところが、こういった社会性が欠落している親子でも、等価交換を原則とする契約社会では自立した一人前の顧客であり、このうえない丁重な扱いを受けます。それがあたり前の世の中なのに、たかが塾の教師に後日出直してくださいと言われた。私を誰だと思っているのかしら!お客様、お客様よ!その接客態度は何!というのが母親の言いたかったことでしょう。要するに、消費者として一人前であれば(お金さえ持っていれば)、内面にどんな人格的欠陥を抱えていても、だれからも非難されない社会になったということでしょうか。

  私は生徒を「お客様」「お子様」扱いする気はありません。生徒に合わせなければ何事も始まりませんが、生徒に完全に合わせてしまっては知識の伝達すらうまくいかないのです。私からすれば当たり前のことなのですが、「それはお前の勝手な言い分だろう」「消費者主権という言葉を知らないのか」「競争社会の厳しさがわかってない」と反撃されるかもしれません。

  しかし、生徒をお客様扱いすることは、教育の中に市場原理を持ち込み、教育を商取引と考えることを意味します。商品交換経済は生徒と教師が対等だという意識を高めます。

  しかし、生徒と教師の関係はフラットだという感覚が生徒の中に浸透すればするほど、自分の気に食わないことを言われるのが耐えられない、許せないという感覚が強くなるのは当然ですね。

  自分の外部に自分の屁理屈がまったく通用しない世界があるのだということが見えなくなる。要するに自我を絶対化してしまうのです。そして、自分の気に入らない人間は皆「変な人」になります。結果、教師の言うことが客観的な知識に関するものでも受けつけなくなる。学力低下が進行するのは当たり前です。

  商品交換の発想では教育は成り立ちません。教育はとりあえず、生徒対教師といった共同体的な上下関係で始めなければなりません。教師に権威が必要なゆえんです。こういった考えを否定して教育の中に市場原理を取り入れたとき、子どもたちが身に付ける商品価値の中に、人と付き合う力・折り合う力・自分を抑える力・集団に馴染みそれを変えていく力などが入ってくるのでしょうか。 

 「知」と両立し、それを支える人間性がなければ、商品価値としては最高の「東大」を卒業しても、社会では使い物にならないのです。


  私は「知」の伝達に重きを置き生徒の内面に干渉することは極力抑えてきましたが、膨大な量の一見関係のなさそうに見える知識の背後にあって、それを支え一定の目的に向けて知識を自分の身体のように使う力のおとろえを、生徒の中に見ることが多くなりました。

  生まれてから貧困も抑圧も経験せず、深刻な対立や生命の危険にさらされることもなく、市民社会的な自由を満喫し、ヴァーチャルな情報空間を泳いできた子どもたちの「ありのままを肯定」すればどうなるか。

 学習面に限って言えば、自分の望む内容を、自分が望むレベルとペースでやれなければ不満に思い、いつもイライラする。勉強はウザったいし、疲れるだけだと感じる。最小限の努力すらしなくなる。それでも「勉強してもらいたかったら」それなりの環境を整えて、楽しく分かりやすく教えろと要求してくるにきまっているのです。

 もともと子どもが勉強することは、それほど簡単なことではありません。外国語の文法を身に付けたり、数式の意味を理解することは「外部」の価値を受け入れていくことです。子どもたちの「内部」からすれば、一種の屈服です。勉強することは自分を変えていくことを意味しますが、今の子どもたちは自分を変えなければならないとは考えていません。

 さらに、こういった商品交換的発想のもっとも大きな落とし穴は、生徒達をすでに学ぶ主体として一人前扱いしていることです。どのような職業や生き方をめざそうとも、共通に身に付けるべき知識や常識や道徳があるはずです。その存在に無理やりにでも気づかせることが子どもたちを社会化するということです。この段階に達していない子どもたちの「個性」を尊重し、何を学びたいか「望むもの」を聞けというのでしょうか。


  人間は文化的な動物です。動物のようにもって生まれた遺伝情報によって自然に成長し成体になるわけではありません。子どもの衝動や欲望に合わせて子育てをすれば、文化的な存在としての人間にすることはできません。

 前回ブログ(NO.133)で、教育格差を生み出しているのは家庭の文化力だと述べました。その一つの生活の基本的な型を作る力の中身はここにあります。

 つまり、教育の本質は、子どもとの衝突を恐れず、子どもが屁理屈をこねだす前から、人として自立できるだけの知識を与え、「しつけ」によって人としての文化的振る舞い、身の処し方を教え込むことにあります。子どもたちは官僚や評論家が勝手に作り上げた理念的な世界を生きているわけではありません。その子にとってぬきさしならない現実を生きているのです。

 日本の教育の危機は、共同体的発想を市民社会的なものに変えるのが遅れていることにあるのではなく、共同体的な文化や振る舞いが価値のない遅れたものだと考えられ軽視されていることにあるのです。国境を越えるグローバルな経済システムに合わせて教育システムを変えなければとあせっているのは、世界広しといえども日本ぐらいではないでしょうか。

 例えば、どんなに進んだヨーロッパの資本主義国においても、共同体的な独自の文化や歴史や宗教を排除し、近代的な「個」が経済活動によって無機質につながっている純粋な市民社会など存在しません。ヨーロッパの素晴らしさは独自の文化を持った地方都市にこそあります。


  この30年間、家庭や地域は大量消費社会・高度情報社会・商品経済の論理・情報メディアに無防備のまま晒されてきました。子どもたちは家庭や地域や学校からよりも情報メディアによって「教育され」、人格までもが情報メディアによって「作られ」ています。

 時間をかけて粘り強く一つのことを追求する「考える主体」は消滅し、「消費する主体」が誕生します。人々はお金があれば何でもできる消費社会の便利さをよろこんで受け入れ、それを進歩だとみなします。その結果、人間の価値はどれだけお金を稼いだか、稼げるか、で決められるようになりました。

 学力差や能力差が経済的な見返りとしてはねかえってくるがゆえに、成績を上げて子どもの商品価値を高めたいとする親たちの欲望が学校に押し寄せ、共同体的な学校文化を壊し、子どもを点数で一元化する偏差値体制を作り上げたのです。

 学校が勝手に偏差値体制なるものを作り上げ、その「序列主義」が社会を汚染したのだと考える評論家がいますが、現実がまったく見えていません。真相は逆なのです。

 さらに学校は、「消費する主体」としての子どもたちの意識と行動を、それまでの考え方では捕らえきれなくなった結果、より強力に子供たちを規制しなければならなくなったのです。あるときは偏差値体制の生みの親だと非難され、あるときは親に代わって子どもに言うことを聞かせるようにとせかされ、他方では「人権抑圧だ!」「管理主義だ!」とたたかれる。かくして、学校は社会から孤立することになったのです。私は30年以上にわたって、塾の教師という立場から定点観察をしてきて、このことに気づかざるを得なかったのです。

 共同体的社会の中では子ども達は常に他人のことにも気を配り、できない生徒も同じ社会の一員だと考えていました。授業中私語をすればほかの仲間に迷惑をかけることが分かっていたので、教師に注意されると、すみませんと謝っていたものです。また、共同体的な価値観を持っていた昔の親は、自分の子どもを中心におきつつも、ほかの子どもや学校にも配慮していました。幸いにも私の住む地域では、ほとんどの親は常識を心得ており、共同体的文化の良さを身に付けています。 


 しかし、一般的な傾向として、現在の親は自分の子どもの言っていることを無条件に信じ、成績や利害だけに執着していて、ほかの子や学校、教師のことを考える余裕がないようです。家庭も地域も学校も、グローバルな資本主義経済システムの侵食にあって独自の文化や生活観を喪失し、個の利害だけに関心がある、単なる雑居集団になりつつあります。「学級崩壊」は必然的な成り行きだったのではないでしょうか。

 善悪の判断すらついていない子どもたちから共同体の規制力(地域のお祭りや行事で生活や文化を学んだり、祖父母から厳しくたしなめられたりすることなど)を剥ぎ取り、消費社会の中に無防備にさらすことが自由な社会だと勘違いし、いとも簡単に情報メディアに操作される親の生き方にこそ本当の原因と責任があるのです。つまり家庭そのものが大きな曲がり角に来ているのです。私たちは子どもを育てる上で、本当に地域共同体よりも徹底的に市場化された社会がいいものなのか、進んでいるものなのかを問う地点に来ているのではないでしょうか。人間として一人前でないのに、消費者として一人前扱いする社会は、意識できないところで深く病んでいます。

 意外に思われるかもしれませんが今でも良い学校は、私立のトップ校であろうと公立の上位校であろうと、部活や文化祭や生徒会活動に情熱を傾ける共同体的文化を持った学校だと私は確信しています。その中で子どもたちは市民社会的な自由と折り合うすべを教師からよりも、むしろ先輩や仲間から学んでいくのです。

 もちろん、そういったコミューナルな学校文化を嫌悪し、受験情報を求めてウェブ上をさまよい、学校の授業よりも予備校が配信する衛星授業やDVDのほうを信頼し、抜け駆け的な勉強をしている生徒もいるでしょう。
ただ、いずれにせよ自立する前の子どもにとって、「個」として出かけ、「個」として学んで帰ってくるような学校がいい学校であるはずはないのです。

最後にまとめて、『今、賢い親は何をすべきか』という問いに、簡潔に答えを出しましょう。 学ぶことが本質的に困難になっている時代に子どもたちを学びに向かわせようとすれば、家庭=親は、まずは子どもたちを共同体の規制のなかで厳しく育てながら、早い段階から「消費主体」としての自信を持たせることが危険だ、と認識できる教養と文化力を持たねばなりません。

 その上で、人が生きるということは単に経済的な成功だけを意味しないのだということを本気で教えるべきです。昔の人は子育ての要諦を「少し飢えさせ、少し寒がらせる」と簡潔に表現しています。家庭に文化がなければ、子どもたちは消費社会の荒波に翻弄されて自分を見失い、踏み惑い、後ずさりし、引きこもってしまいます。あるいは、社会に過剰に適応しようとして、精神を病むでしょう。

 それでも、ライフスタイルを資本の最先端の動きに合わせることを良しとすべきなのでしょうか。



  私事ではありますが2人目の孫『遼』の誕生を祝して、猟師で教師の祖父より 

じゃあ、また。                              TOC徳塾

TOCの窓    NO.133 教育格差は親の経済力に比例しているのか?

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TOCの窓                NO.133

教育格差は親の経済力に比例しているのか?

私は父を早く亡くし母子家庭でしたし、私自身も大学卒業後紆余曲折を経て、作った家庭も決して裕福ではなかったのですが、子供たちは3人とも奨学金を受けて国立大学に行き、医者になりました。経済力はないのですが、単に珍しい例外の一つなのでしょうか。決して自慢する気持ちはありません。ただ今日、教育の分野では、教育格差・学力格差という言葉があたりまえのように使われています。そして、教育格差は親の経済力に比例しているという言説が最近の流行です。果たしてそうなのでしょうか。そんなに単純なのでしょうか。

私が子どもだったころ、一部の金持ちは別として、みんな貧しかったし、親の経済力とは関係なしに勉強ができる子どもはたくさんいました。ただ私のいた神戸の高羽小学校では、1967年頃には市立でありながら「別勉」と称して、学校教師が金持ちの子弟を集めて各家庭持ち回りで受験指導をするという塾の前段階ともいうべき体制が出来上がっていました。大規模塾もある現代では一体何が変わったのでしょうか。

1980年代半ばのバブル景気到来を境に、消費主体として分断された個人や家族は、経済力に応じて自己実現のためのさまざまな手段を手に入れようと奔走し(いわゆる財テク)、地域共同体の桎梏から逃れようとし始めます。その結果、学校は存立の基盤である地域共同体の支えを失ったと言われています。情報化社会はこの趨勢とパラレルに進展していきます。そして、すぐれた情報もそうでないものも等価に人々の前に投げ出される。企業は情報の差別化を加速する。心脳コントロール社会の登場というわけです。結果として、情報の価値を識別する能力のある層とそうでない層がくっきりと色分けされるようになります。ご存知の方も当然おられると思いますが、実は経済的な格差は情報識別能力と比例して広がっているといわれています。
教育の世界に話を戻すと、教育格差を生み出しているのは、親の経済力だけではありません。経済力があっても、もっともらしい情報を鵜呑みにして振り回されている親が多いことを考えると、「教育格差を生み出しているのは、親の経済力」という主張には無理があります。これは、現象を結果から見ているに過ぎません。経済的な格差は原因ではなく結果なのです。

結論から言うと、教育格差を生み出しているのは、実は家庭の文化力なのです。この文化力には二つの側面があります。一つは、子どもにきちんと挨拶をさせる、朝ごはんは必ず食べさせる、夜更かしをさせない、家の手伝いをさせるといった生活の基本的な型を作る力のことです。しつけをきちっとして、学習に向かわせる姿勢を身につけさせることは、本来、経済力とは関係なく家庭でできることです。二つ目は、親の情報識別能力です。具体的にいうと、子どもたちが学ぶ知識にレベル差があることを親が理解できているかということです。TOCでも面談で時々話すのですが、知識には以下の4つのレベルがあります。算数を起点に例を挙げてみましょう。

1:分数の割り算のやり方を知っているレベル。

2:なぜ、分母と分子をひっくり返して掛けるとよいのか、その理由を理解しているレベル。

3:こういった知識を持っていることが教室の中でどのように評価されるかを知っているレベル。

4:このような評価の仕組みが、疑われることのない、当たり前のこととして受け入れられている世の中のからくりを知っているレベル。

現在は、この知識のレベル差に応じて教育格差が広がり、結果として、経済格差につながっているのです。文化資本主義とよばれる所以です。そして、学校やほとんどの進学塾で教えられる知識は1のレベルで止まっています。進学塾に長年通わせているのに結果が出ないとぼやいている家庭はこのレベルの知識の習得が終着点と考え行き詰っています。学ぶ当事者としての子供の内面も見落としている場合が多いです。そして私がTOCで確かめると、2のレベルに達している生徒は実に少ないのです。2は一応教えられていても形だけです。割り算や分数・割合の本質、分数の割り算が通分と関係していること、それが中学・高校の数学の中でどのように生かされていくのかなど、ほとんど理解できていません。

例えば、ファーストフード店に代表される外食産業の接客マニュアルを思い浮かべてください。それは、かなり接客能力の低い人を前提に、大量に、最短の時間で、とりあえず最低限の社会的基準(学校の定期テストや高校入試必勝マニュアルに当たります)をクリアすることを目的に作られています。その結果、このマニュアルをクリアしても、能力は低いままなのです。この低い能力を社会的基準以上に高める仕組みはありません。どんな客にも同じパターンを、機械のように繰り返すだけです。返答の仕方、笑い方まで決まっています。相手を見て対応することなど不可能なのです。しかし、それはそれで、社会の必要性に答えています。手軽で早いことは価値の一つですし、それだからこそ逆に消費者は安心できる面もあります。

すべての方法には、それぞれの目標があり、前提とする能力、その方法によって高められる能力のレベルが決まっています。それをしっかり見極め、自分が求めている能力にふさわしい方法を選ばなければなりません。そして、この点こそが大事なのですが、多くの方法は、能力の現状をそのままに、それをいかに有効に使えるかだけを問題にしています。入試問題の解き方だけを覚えても、その前提である能力そのものが現状のまま維持されるのであれば、学ぶことそのものは永遠に続く苦役になるでしょう。結果として、「教科書や参考書にのっているようなすでに内容が決まっている知識を、ある量、なんとかテストまでに頭に詰め込む」ことが勉強と考え、それを少しでも楽に効率よくさせてくれるのが勉強法だと考えるようになります。

 中核的な概念、知識、公式などと、周辺部とが関連付けられているような知識体系が有効で、そのような知識体系の形成を目指して勉強しようという発想は出てきません。私がTOCで教える方法は、能力を伸ばすこと自体を第一の目的としています。ですから、努力が必要です。「最短時間」で「効率よく」、というわけにはいきません。

もちろん、塾は「最短時間」で「効率よく」生徒の学力を伸ばし、不況ともなれば「最小の費用」でという要求にも応えなければならない産業です。学校と違い、激しい競争にさらされ、「市場の淘汰圧」を受けていることで人々の信用を得ています。「この情報になら対価を払ってもよい」という消費者が一定数確保できなければ存立できません。その厳しい条件が塾の発信する情報の質を保証していると人々は考えているようです。

 原理的には確かにそうかもしれません。しかし、現実はそうではない。「この情報になら対価を払ってもよい」という情報消費者の「ニーズ」に迎合することで、塾の発信する情報の質は一貫して低下し続けているのです。生徒を増やそうとすれば、宿命的に塾は「よりリテラシーの低い不特定多数の保護者」を相手にしなければならないからです。つまり保護者が「興奮する素材」を絶えず提供し続けなければ生き残れないということです。塾が提供できる「興奮する素材」とは「合格実績」と「受講料の値下げ」しかありません。

 

食品の産地偽装や汚染米の流通が問題になるのは、健康に大きな影響を与えるからです。しかし、人間の心や精神に影響を与える知的情報の偽装や汚染度は、影響が目に見えないために問題にされません。私は知的情報の劣悪さが子どもたちの日々の振る舞いや思考にどのように影響を与えているか、目の当たりにしています。情報識別能力のある家庭の文化力とは、直感的であれ、意識的であれ、こういったことのからくりがわかっていることを指します。

労働力は商品ではありません。同様に、子どもたちの学力もファーストフード店で売られている商品ではないはずです。魂をもった子どもたちを商品扱いすれば、そのツケはかならず払わなければなりません。家庭の中でも、国家のレベルでも。

ですから、私は入塾を子どもの現在の学力で計りません。きちんとしつけがされているか、勉強する意欲があるかだけを判断基準にして、先着順で受け入れています。特に最近の3回の闘病経験と、やっと自分たちの子育てを終えたことは、この方針として特に意識するようになってきましたし、このような場で次々と私の内面を披露し始めた所以でもあります。

最後になりましたが、実は知識のレベルには5があります。それは、「このような評価の仕組みが、疑われることのない、当たり前のこととして受け入れられている世の中のからくりを知って(4レベル)、それをどう変えていけばよいのかを知っているレベル」です。これは教育の最終目的であり、価値判断の問題になります。そして、知ることは価値判断と無縁ではない。つまり、知ることは、どう生きるかということと結びついているのです。

じゃあ、また。

                              TOC徳塾

「はやく かんたんに せいかくに」の根拠は?   TOCの窓 NO.131

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どんぐり倶楽部の推奨者でもあるGフォレストの金森先生のブログを引用・拡散させていただきます。

『 算数学習でよく言われる 「はやく・かんたんに・せいかくに」の根拠を探して小学校学習指導要領を全部読み返してみましたが、”速く” も ”簡単に” ”正確に” も記載がありません。

どこに根拠があるのか、もし知っている人がいたら教えてください。

「はやく・かんたんに・せいかくに」が悪いとは言いません。

その子のペースを守った成長の先に、その状態になるのなら構いません。
試行錯誤を繰り返せば、簡単なやり方に近づいていきますから。
はやく、せいかくになっていきますから。

でも、まだ学んでいる段階の子どもたちにスピードを求める、簡単なやり方を教え込む、正確さを求める、これは無理があると思います。

新人に仕事を教える時のことを考えてみればいいです。

まず、これは何のためにやるのか、その理由を説明します。
そして、手順を教えながらやってみせます。
そばで見ながらさせてみます。
間違えても叱りません。
正しい手順で出来るようになるまでが上司や先輩の役割です。

 

やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

山本 五十六

まずは、理解して正確に出来るようになるのが大事です。
早さはあとからついてきます。

新人に、いきなり大量に仕事を渡して、はやく!無駄なく! 正確に! なんてさせないはずです。
させたら、新人は仕事が身につきません。

だから、「はやく・かんたんに・せいかくに」 は、小6時点の到達目標であって、
単元の内容を習得する時のやらせ方ではないと思いますが・・・違うのかしら。

 

ちなみに、小学校学習指導要領の割合に関する記載

『異種の二つの量の割合としてとらえられる数量について,その比べ方や表し方を理解できるようにする。』
理解できるようにする。と書いてありますので、公式を教えてそこに当てはめて答えを出す指導は、小学校学習指導要領に反するんですけどね。
まぁそうすると今度は教科書がそうなっているからとかいろいろいい訳はできますが。
他にも、計算についてもこういう記載が多い。
その計算の仕方を考え,用いることができるようにする。
理解し,それらの計算が確実にできること。
理解が大事と書いてあります。

確実にとは書いてありますが、まず理解と書いてあります。

「出来ればわかるようになる」というどこかの教室みたいなことはどこにも書いてありませんから、小学校学習指導要領に反しますね。

音声計算

音声計算 、本読み計算などの別名もあり、全国的ではないにしろ広まっている学習方法。これも一つの「はやく・かんたんに・せいかくに」の形。

数字を見て計算問題の答えを反射的に出す練習・・・。
(丸暗記させちゃうつもりね)

ドリルだろうが、計算カードだろうが、スピードを求めると基本的にはこれと変わらない。理解は一切深まらない。

これでどうしてじっくり考えられる子が育つのか。

小学1年生の足し算カードからはじまり、引き算カード、さくらんぼ計算、小2の掛け算九九、小3の九九範囲の割り算、穴あき九九、学年問わず百マス計算、もう嫌というほどやらされる。

そして、そのタイムが縮まると親も子も喜ぶ。
(遅い子は出来ない子のレッテルを貼られて自信を喪失していく)
でも文章問題は「これ何算?」と言いながら、めちゃくちゃな計算をする。

で、小4頃から義務教育の算数がわからなくなる。
高学年ではボロボロ。

(出来ると思われている子だって、ただパターン学習で練習しているから出来るだけという子が多いから、どんぐり問題はボロボロ)

さらに、基礎の徹底とばかりにマス計算や単純計算、同じような問題が続くドリルやプリントを繰り返させる。

「おかしい、これだけさせているのに・・・まだ足りない、もっとさせないと、出来るまで繰り返さないと」

と呪文のようにつぶやきながら。

おまけに、これだけ子どもが考えなくなるわかりやすい仕組みが見えても、宿題さえアレンジしようとしない。

親子でバトルをしながら、子どもの遊ぶ時間を奪いながら、繰り返し理解を伴わない質の悪い反復学習を押し付ける。

子どもが泣いて嫌がろうが、宿題をやりながら居眠りをしようが、やらせることが大事(なの?)。

こういう取り組みを ”良い取組み” として共有し広めてしまう学校現場の恐ろしさ。

学校のやることだからと受け入れてしまう家庭の危うさ。

被害は全部子どもたちへ集約される。 』

 

と、私も強く思います。

じゃあ、また。

子ども   TOCの窓 NO.30

投稿日: 更新日:

批判ばかりされた子どもは

非難することをおぼえる

殴られて大きくなった子どもは

力にたよることをおぼえる

笑いものにされた子どもは

ものを言わずにいることをおぼえる

皮肉にさらされた子どもは

鈍い良心のもちぬしとなる

しかし、激励をうけた子どもは

自信をおぼえる

寛容にであった子どもは

忍耐をおぼえる

賞賛をうけた子どもは

評価することをおぼえる

フェアプレーを経験した子どもは

公正をおぼえる

友情を知る子どもは

親切をおぼえる

安心を経験した子どもは

信頼をおぼえる

可愛がられ抱きしめられた子供は

世界中の愛情を感じとることをおぼえる

 

(「あなた自身の社会  スウェーデンの中学教科書」から抜粋 川上邦夫訳 新評論 )

私事ですが、昨日私の初孫の「お食い初め」をしました。

じゃあ、また。

 

 

地頭を鍛えるイメージ思考問題の特徴 TOCの窓 NO.29

投稿日: 更新日:

お絵かき算数ドリルの作者・金森先生の解説を掲載します。

地頭を鍛える

「地頭」…大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう  出典/大辞泉

そう、言葉の通り地頭を鍛えるのです。算数の問題ごとに解き方を覚えるのではなく、どんな問題がでても対応できる柔軟な頭、創意工夫できる頭に育てるのです。

どうすればよいでしょうか?

答えはシンプルです。そういう育て方をすればよいのです。

 

日常生活では、単純な刺激の繰り返し(テレビゲーム、テレビ等)の時間を減らし

勉強では同じような問題を大量に解いたり、単純な計算をひたすら繰り返す学習を減らして、

解き方を知らない、教わっていない、じっくり考えなければ解けない問題に粘り強くチャレンジすればよいのです。

S5級-44★★

ひよこ組のお友達が、3人ずつの班をつくったら2人あまりました。班の数は変えずに4人ずつにしようとしたら3人足りませんでした。ひよこ組は全部で何人いるでしょうか。

 

息子が小学2年生の時にやった問題です。

初めてみるタイプの問題で、ノーヒントでしたが、絵図に表しながら答えを探し出しました。

 

中学生はこの問題を方程式で解きます。

班の数をXにして

3X+2=4X-3、X=5

Xに5を代入して   答 17人

 

でもたし算とひき算しか出来ない低学年でも、地頭を鍛えれば工夫して解けるんです。

 

その他の作品

次男も小2の6月に初挑戦で解きました。問題文を読んだだけではわからなくても、絵図にすることで解けるのです。
もちろんノーヒントです。

ひよこ問題から5ヵ月後、類題に挑戦しましたが、難なく解きました。

<S4級-83>★★★
ひろあき君が摘んできたケラケラ笑い花を、幼稚園の全部のクラスに4本ずつ飾ると4本余ります。5本ずつ飾ろうとすると、3本足りなくなってしまいました。ひろあき君はケラケラ笑い花を何本摘んできたでしょうか。

さらに9ヶ月後類題に挑戦しました。

<S1級-20>★★★★★★
今日はろくろっ首のお菊さんとのっぺらぼうの大吉の結婚式です。日本の妖怪なのになぜか教会で式を挙げるそうです。2人の両親と友人の妖怪が教会の長椅子に座る時、3人ずつだと4人が座れず、4人ずつだと長椅子は3脚も余ってしまいます。教会には何人の友人が集まったと思いますか。

解説動画⇒https://youtu.be/e4gP2sBZ26o

イメージする力

文章をスラスラ読めても、言葉の意味が解っても、文章問題が苦手という子は、「言葉」から「イメージする力」が弱いのです。

イメージできないから、「わからない」のです。イメージする力を育てるために、文章問題の言葉を丁寧に絵にして答えを見つけます。

問題を読んで、式を作って答えを出す・・・×
問題を読んで、絵を描いて答えを出す・・・○
式は答えを出した後に作ればいいんです。

自立学習

子ども達は解き方を教わらずに答えを探しますので、完全に自立して学習します。

言葉の意味や漢字の読みがわからないところは質問できますが、原則として解く時はノーヒントです。問題を解き終わったら、指導者と一緒に思考の道筋を確認します。(高学年は伝えてもらいます)

何となく正解では意味がないのです。答えが間違っていても、答えを探す過程が地頭を鍛えるのです。指導者は解き方は教えずコーチングに徹します。

オリジナル教材

当教室(TOCの小学生部も)では「教える」ための教材ではなく、子どもが自分で「試行錯誤をして解く」ための教材を使っています。

学校の単元毎に作られた問題とはまったく違い、子どもたちは見たことのない、教わったことのない問題に挑戦します。

でてくるキャラクターも愉快なものが多いので、楽しみながら難問を解いていく姿は感動です。

考える方法

「考えなさい」と言われても子ども達は「考える」方法を知りませんので困ってしまいます。

知らないので、出て来た数字を掛けたり、割ったり、引いたり、足したりを繰り返す子もいます。

「考える」ということは「計算をする」ことではないのです。だから「考える」子を育てようと思ったら「考える」方法を教え、「考える」練習をしてあげればよいのです。

わからないがわかる

文章を全て絵にしていく過程で、子どもたちが何を理解していないかが見えてきます。

「▲倍」 「ずつ」 「~より○個多い」
「●%」 「1/3」などなど

曖昧な理解をしていると絵に出来ないので、子どもたちのわからない所がわかります。あとは一つ一つじっくり理解出来るようにすれば良いのです。

読解力がつく

文章を絵にしていくということは、言葉の一つ一つをイメージしてそれを紙に落としていく緻密な作業です。

全てを正確に絵にするには文章を精読する必要があります。その結果、算数の問題を解いているのに自然と読解力がついてきます。

たくさん本を読んでも、イメージできない、飛ばし読みをする子は読解力が低いことがありますからね。

 

深い読解

<S5級-57>★★

阿修羅君は6本の手と3つの顔があります。だから、ご飯中に勉強しながらテレビを見ることができます。(いけませんね~)ある日お父さんから「阿修羅、パパの両肩を叩いてくれないか?」と言われたので、なんと歯ブラシで歯を磨きながら空いている手1本につき6回ずつ叩いてあげることにしました。阿修羅君はお父さんの両肩を交互に叩いたとすると、お父さんの左肩は何回叩かれたでしょうか。

この問題を小学3年生が解いたのが右の絵です。

用意してある答は15回ですがこの子の答は9回でした。絵を良く見るとわかるのですが、阿修羅君が3本の歯ブラシを持って歯磨きをしています。

 

口は3つ、腕は6本、3本の歯ブラシを使うのが自然だろうと阿修羅君になって考えて絵を描いたのです。もちろん大正解です。ここまで深く読解できるなんて素晴らしいですよね。

 

※お絵かき算数ドリルは正解を出すことが目的ではなく力をつけるための問題なので、学校の問題よりも曖昧に作っています。だからとらえ方次第で答が変わってもいいのです。

自分で絵を描くから自分の力になる

勉強を教える時に、子どもたちに絵図を描いて説明するとわかってもらえることが多いです。言葉よりも文字よりも絵図のほうがはるかに高度な情報伝達方法なのです。

しかし、絵図で説明されてもそれはすぐに記憶から消えてしまいます。

自分で描いた絵図ではないからです。

問題文を全て自分で絵図にしていくことで、記憶に深く刻まれます。すると、次に似たような問題や、複雑な発展問題に出会ったときにその記憶を使うことが出来るのです。

絵のたくさん描いてあるテキストや動画の授業は何度も読んだり聞いたりしなければ記憶に残りにくいですが、自分で描いた絵図は、一度で記憶に残るのです。

実際子どもたちは、1年以上前にやった問題をはっきり覚えていることが多いのです。

 

じゃあ、また。

 勉強ではないから TOCの窓 NO.28

投稿日: 更新日:

イメージ式の練習を年長から始めるのと小学校にあがってから始めるのでは、その期間の違い以上の違いがあります。
就学3ヶ月前に始めるのと就学3ヶ月後に始めるのでは、6ヶ月のずれでは片付けられない違いがあります。

本当にちがいます。こればっかりはやってみないと分からないですよね。少しでも多くの人に知ってもらいたいので、これからは(H.29.8/25以降)年長さんの授業料は無料にします♪

K式学習等をやっていた子どもが、リセットをしてから始めるのと、リセットをしないで始めるのでも全然違います。数年を棒に振る方もいます。

進学塾で詰め込みながら、並行してやるのも無理があります。イメージ式で考える力がついたので中学受験をしたい、となった場合が多いのですが(逆の場合は|受験塾に行きながら考える力をつけたいのでイメージ式を始めようという場合|非常に難しいです)、受験したいとなった場合、考えることと覚えることを区別し、常に修正する意識が必要です。もちろん受験勉強の期間はできるだけ短いほうが良いのは言うまでもありません。

イメージ式での学習法は、ただの文章問題を解くだけの”勉強”ではありませんからね。
なかなか伝わりませんけどね。

来年度から小学生の募集は、年長児から小3生までにしようと考えています。9歳の壁を越えたあとは、経験上小4生で8割、小5生で5割、小6生で3割程度の子どもたちしか身につけていけないように感じます。学校からの考えない学習の猛攻がありますし、4年生以降は、それまでの経緯と希望を確かめて入会を決めさせていただこうと考えています。

そして、イメージ学習を続けてきた子たちは、中学生以降は自学自習できるはずです。

協力して進む子どもたちのイラスト

でも継続して学習したいと希望する生徒は、高校進学に向けた中学生授業も指導していくつもりです。どんぐり倶楽部を知るまでは、この中学・高校生の指導を中心としていましたから、得意とするところでもあります。

現状の中学生授業は、イメージを続けてきた考える力を持った優秀な生徒の応用授業と、他塾あるいは家庭教師で伸びなかった生徒の尻拭いをするような授業になっています。他塾から来た生徒も何とかしてあげたいと思います。本当にかわいそうです。現代の環境は、昔とは変わっています。今の中3生からは、また大学の入試制度が変わっていきます。考える力がますます求められていきます。全て暗記では乗り越えられなくなります。

じゃあ、また。

文章問題が苦手 TOCの窓 NO.27

投稿日: 更新日:

TOC小学生部でイメージ思考の教材として使用しているのは、TOCのオリジナル教材にどんぐり倶楽部の良質の算数問題と地頭を鍛えるお絵かき算数ドリルですが、その後者の作者金森先生のブログにあった記事の趣旨に賛同していますので、ここに掲載させていただきます。

文章問題が苦手という子

 

「計算問題はできるけれど、文章問題が苦手」というお子さんが多いですね。
あまりにも多くて、みんな同じなんだ、子どもはそういうものなんだ、と勘違いをしてしまいそうになります。

が、文章問題が得意な子はいます。

文章問題をたくさん練習して、得意になったという子が多いでしょう。

でも、解き方を 知らない「初めて見る文章問題」では、たくさん練習してきた子でも解けないケースが多いです。

しかし、そんな「初めて見る文章問題」でも解ける子がいます。

「生まれつき頭がいい子だ」という意見がありますが、私はそれだけではないと思っています。

もちろん、遺伝的に賢い子というのはいますが、誰もが「初めて見る文章問題」でも解けるようになるのを普段からみていますので、遺伝で片付けることは出来ません。

では、そうした子はなぜ「初めて見る文章問題」でも解けるのでしょうか。

理由は単純です。

自分の頭で考えるからです。

考えるとはどういうことかを知っているからです。

そして、その方法を身につけているからです。

解き方を知らなくても、考えれば答えは見つかるということを経験として知っているからです。

だから、子どもたちに考えるということを教えてあげて、その練習をすればいいのです。

文章問題の解き方が間違っている

 

もうひとつ、子どもたちに文章問題が苦手と思わせている理由があります。

それは、文章問題の解き方が間違っているからです。

一般的に、小学校で出てくる文章問題というのは、最初に式をたてます。

そして計算をして、答えを出します。

整理すると

①立式

②計算

③答え

この順番です。

実はこのやり方は、とても難易度が高いやり方です。

例えば、高学年でも解けない子が多いこの問題、

<S5級-05>★★
三つ目小僧チームと一つ目小僧チームがドッジボールをしています。
三つ目小僧チームのほうが2人多いようです。全員の目の合計は22個です。三つ目小僧チームは何人いるでしょうか。

何もヒントを出さずにお子さんにさせてみてください。
「わからない」
「かけ算?割り算?」
と言うかもしれません。

「わからない」という場合、言葉の意味が分かっていないケースもあります。

”三つ目小僧” ”一つ目小僧” という言葉の意味がわからないかもしれません。
”2人多い” がわからないかもしれません。
”全員” がわからないかもしれません。

全ての言葉の意味が分かっていても、「式が立てられないから(何算かわからないから)わからない」 で終わってしまうケースがほとんどでしょう。

しかし、問題文を絵にして答えを探すというやり方を知っていて、練習をしている子なら、初めて見るこの問題を小学一年生でも解くことができます。

実際に、多くの小学一年生たちが私の目の前で正解を出しています。

違いは明らか

 

学校の文章問題のやり方に慣れていても、式は立てないで絵を描くというやり方を教えてあげると、すぐに答えを見つける子は少なくありません。
右の図は小学4年生が体験学習に来た時の作品です。

上の式が「好きなやり方でやってごらん?」といってやったもの。

真ん中の絵が、「ここ(一文)まで読んで絵にして、絵にしたらまた読んで絵にして、それでもう1回解いてごらん?」といってやったものです。

この問題の解き方を教えたわけではありません。

同じ日に、同じ机で、同じ鉛筆で、当然同じ子がやりました。この子の能力が急に高まった?

そんなことはありません。もともとあった能力の出し方を教えてあげただけです♪
下の画像も中学年の子が体験学習の時にやったものです。

左が「好きなやり方で解いてみて」と言ってやってもらったもので、右が「一文ずつゆっくり読んで、絵にして答えをさがしてみて」といってやってもらったものです。

同じ子が、同じ日に、同じ場所で、解き方も教えずに、これだけ違うのです。

式は難しい

 

この問題を1つの式にすると、

(22-3×2)÷(1+3)+2=6

になります。

「計算の決まり」という単元で知識としては教わりますが、問題文を読んでいきなりこれを立てられる小学生は何パーセントいるでしょうか。

ばらけて式をたてると

3×2=6 ・・・2人多い三つ目小僧の目の数・・・①

22-6=16 ・・・①を除いた三つ目小僧と一つ目小僧の目の数・・・②

1+3=4 ・・・三つ目小僧と一つ目小僧1ペアの目の数・・・③

16÷4=4 ・・・②の中に③(ペア)がいくつあるか。・・・④

4+2=6 ・・・④と多い三つ目小僧の人数を合わせると三つ目小僧全員の数がわかる。

最初に式をたてて・・・ではまず解けません。

つまり、学校で刷り込まれている、まず最初に式をたててというやり方は、間違っているのです。

おまけに、絵図は描かずに、指は使わずになどという指導をされてしまっては、頭の中で絵図が描ける子しか解けないんです。

文章問題の正しいやり方は、

まず絵図を描いて、

計算をして、

答えを出して、

最後に式をたてる。

これなんです。

そして、解き方を知らない文章問題を楽しみながら絵図を描いて解くことで地頭が鍛えられ、

結果として学校の文章問題にも抜群の力を発揮するようになるのです。

将来役に立つやり方を身につける

 

学校の勉強は、解き方を教わって類題をこなせばテストで良い点を取ることができます。

残念ながら、今の小学校や中学校さらに言えばほとんどの塾ではそういう勉強をさせます。

学校のテストで良い点を取るための努力が、これからの時代に社会で必要となる能力を身に付けることに繋がっていないんです。

単純な仕事はどんどん人工知能が奪っていきます。

言われたことを言われたとおりに頑張るという能力では、やれる仕事がなくなっていくんですね。

大学入試制度も変わります。

 

高校生になってから、自分の頭で考える訓練をすれば対応できるか?

それは難しいと思います。

現時点で小学生であれば、新しい入試制度で受験をすることになります。

しかし、教育現場はまだ変わっていません。

変わるのを待っている時間はありません。

 

じゃあ、また。

MUSTではなくWANT の気持ちで TOCの窓NO.26

投稿日: 更新日:

  みなさんは、勉強や仕事をし始める時って、どういうふうに考えて始めていますか?
 もしかして、「勉強しなきゃ」とか、「仕事しなければ」というように、『〇〇しなければならない』MUSTと考えていませんか?
 こういう考え方だと、『自分は本当はやりたくないんだけど、義務だからやっている』という自己暗示がかかってしまいます 。
 このように『やりたくないけど、仕方なくやっている』と考えてしまうと、その行動は『不快』という感情に結びついてしまいます。
 この『不快』という感情に結びついてしまった行動というのは、続けるのがなかなか難しくなってしまうんです。
 darui_man
 わたしは、いろいろな人を見てきましたが、何かを継続してやっていて、それで結果を出している人というのは、 練習や勉強するときに、「どうすれば、もっと楽しくなるか?」とか、「どうすれば、もっと効率よくやれるか?」ということを常に考えて、頭を働かせています
 これに対して、先程の「〇〇しなければならない」のような義務感で勉強や練習をしているときというのは、基本的に頭が働いていません
 この気持ちの差が、結果に差を生みます 。
 今度から勉強や仕事をする時は、「勉強したいから勉強する」とか、「仕事したいから仕事する」(WANT)と、まずは嘘でも良いので考えてみてください(プラスの自己暗示)
 その後に、「どうすれば、もっと楽しくなるか」、「どうすれば、もっと効率的になるか」ということを工夫して考えてみてください。
 そうすればあなたの頭は働き出し、勉強も続くようになると思います。syukudai_natsuyasumi_girl

            MUSTから  WANTへ 

 義務でやっているのではなく、ゲームとしてやっている感覚を身につけて下さい。
そこまでいけば、結果も変わってくると思いますよ(^_^)
 じゃあ、また。

成し遂げるためのプロセス(成功者の条件) TOCの窓 NO.25

投稿日: 更新日:


 勉強をやってもすぐ忘れてしまう。どうせ、やっても駄目だ。と言い訳をしながら、テレビを見たり、ネットサーフィンを繰り返したり、なかなか勉強を始めない生徒をときどき見ます。
 私自身、この年齢になってまだまだ途上にある身ですが、若い時から心がけていることがありました。
 『できると思うか、できないと思うか、いずれにせよ、あなたは正しい』という言葉があります。
 これはどういう意味かというと、 結局はあなたの信念が、あなたの行動を決めるということです 。
そして、あなたのとった行動が、あなたの人生を決めます。
 「自分には何かを成し遂げる能力がある」という信念を持っている人は、その信念が行動につながり、何らかの結果が出ます。
もちろん、ときには自分が望まない結果が出ることもありますが、そういう場合でも、その結果から学び、今度は違う方法を試してみます。
そうすると、前回とは違う結果が出ます。
 成功する人というのは、このプロセスを繰り返して、いずれは成功にたどり着きます 。
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 しかし、「どうせ、自分はダメだ」とか、「何をやっても自分はうまくいかない」という信念を持っている人は、そもそも行動を起こさないか 、一度や二度挫折しただけで、諦めてやめてしまいます。
それでは成功できるわけがありません 。
 幸いわたしたちは、自分の信念を自分の意思で選ぶことができます。
ぜひ、行動につながるような信念を選びとるようにしてくださいね(^_^)
じゃあ、また。

 

「レコーディング法」と「 直しノート」 TOCの窓 NO.24

投稿日: 更新日:

TOCでは、数学でも英語でも繰り返し「直しノート」の重要性を説いている。

どんぐり倶楽部では間違った問題のメモを「分からん帳」と言っているが、TOC式ではさらに工夫して、間違った問題をノート1ページの半分折りで左に問題、右に途中式・答えと先生からの注意書を書き込み、自分専用の問題集作りを「直しノート」としている。「直しノート」という命名も、親しみを持ってもらおうと考え、そのまんまの簡単にしたのである。

これを作り、何回も見直し続けた生徒の成績上昇率は抜群で、ミスもなくなりテストの得点は急上昇する。(ただし、思考力はイメージ式で付けましょう。)

自分ができなかった問題だけを繰り返し確認することで、理解が深まるからである。

さらに、ミスを記録し見返すことで同じミスを繰り返さなくなり、注意力がアップするからである。集中力や注意力は大幅に改善する。ケアレスミスの多い生徒も変わっていく。

当然、やり続ければの話である。成績の上がらない生徒、ミスの減らない生徒はこれが続けられない。軽く考えてしまうのである。こちらは、言い続けるのだが。これができるかどうかが早期に上がるかどうかの分かれ目。できない生徒はゆっくり。それもいいでしょう。でも、「直しノート」という名前が軽すぎたかな。

実は、2017年5月5日放送 19:00 – 21:49 フジテレビ その原因、Xにあり!でも放送されたのであるが、認知症改善の方法として実践されている「レコーディング法」と「直しノート」はミスをなくす点でその目的・効果がほとんど同じなのである。     以下、「若返りTV]参照。

その原因、Xにつき!認知症になる前のサインと注意力を改善するレコーディング法

認知症とその予備軍の人たちは増え続けていて、2025年にはあわせて1300万人を超すと言われている。この数値は、65歳以上の3人に1人の割合。そもそも認知症とは、加齢などにより脳細胞が死滅したり働きが低下することで、認知機能に障害が引き起こされる状態。最近の研究では、認知症のサインに気付き早期に見つけると症状を食い止められることがわかってきた。

 

30年以上にわたり認知症研究に取り組んでいる朝田隆先生によると、特に早い時期に気付いて努力することで、認知症の進行を止めることもできるという。そこで、実際に勧めたという改善法が、レコーディング法。たとえば、タクシーにスマホを忘れる、床暖房消し忘れなどのミスに対して、きょうのミスという欄を作って実際に記録する。ミスを記録し見返すことで同じミスを繰り返さなくなり、注意力がアップする。朝田先生によると、記憶力は訓練によって改善しないが、注意力や集中力は改善する。

このほかに、認知力アップデイケアに通って、頭を使った知的な刺激と運動との組み合わせが脳を活性化させる練習をしたりしている。

 

3年前に軽度認知障害と診断された、元記者の山本朋史さん。主治医の朝田隆先生は、レコーディング法というミスを記録し見返す方法を提案した。注意力がアップするという。毎日続けた結果、山本さんは些細なミスが劇的に減った。さらに山本さんは、脳を活性化させて認知症を予防するという認知力アップデイケアにも通っている。

                  』

認知症になるような高齢の方にでも効果があるのだから、まして脳細胞の働きの活発な若い小中高生に効かないはずがない、と思うのですがどうでしょうか?やってみてよ、続けて。

さらに、TOCは、学習力アップデイケアでもあります。

「直しノート」も、これからは「TOC式学習機能改善レコーディング法」と名称変更しようかな?(冗談笑)

じゃあ、また。

塾の役割  TOCの窓 NO.23

投稿日: 更新日:

入学シーズンを迎え、巷では進学校への合格者を満載した塾のチラシが華やかに競い合っていますが、世の御父兄の中には、それらをきっかけに塾探しを始める方もおられるのだなあと、この時期はいつも思います。

最近全くチラシ等を出していませんが、実はTOCも約30年前の昭和63年に、当時としては珍しく国語力重視の進学補習塾として、わたしが独りで始めました。そして難関進学校を目指して鍛え、小規模塾でありながら、5人・7人・9人・・・と多い年では生徒の7割近くを神戸高校に、そして関学や六甲・甲陽学院にも送り出していきました。入会テストもせずに、だれもが伸びる!を掲げて。少し自慢していました。

しかしやがて、小学校高学年、中学生、高校生と入塾してくる子たちの年齢が上がるほどに、考える力のない生徒・夢を持てない生徒が増えて、無視することができなくなってきました。

特に分かりやすいのは、算数・数学で、もともと得意と苦手がはっきりと分かれやすい科目です。この科目では学年が上がるほどに、さしたる努力をせずとも応用問題までスラスラ解ける少数の生徒と、繰り返し演習を重ねても一定レベル以上の問題になると手も足も出なくなる大半の生徒とに極端に分かれていきます。このことは、高校全体での国立理系進学クラスが極端に少なくなることでも分かると思います。

先生たちが同じように教えても、吸収力に大きな個人差がでるのはなぜでしょうか。

結局、たくさんの子どもたちを長年にわたって指導し観察し続けた結果、私はこの差を12歳までの “学習面での土台作り“の差だと考えるようになりました。そしてこの土台とは、よく言われる“読み書き計算”ではなく、“考える力”であると今では、はっきりと確信しています。

そして、「根本的な学力差がつく小学生時代に、この考える力を付けるために、真に取り組むべきことは何だろう」と考え、開塾後5・6年頃から自分の3人の子どもたちに実験を重ねてきました。失敗も成功も色々あり、良かったと思うことを教室で利用してきました。その結果が、小学生低学年のうちに「イメージの操作=思考力」を鍛える“イメージ思考問題”を解くということが、答えとして出てきた方法です。今では、この思考力を付けることこそが、小学生に対する塾の役割だと考えています。

この学習だけで、公立小学校の場合、学校授業では問題ありません。問題がないどころか、優秀になります。そして、性格もいい子になっていきます。

中学に入ってからは、この力を土台に3年間かけて、高校入試に向けて技術(得点力・内申点等)を磨いていきます。

わたしの子供たちはこの方法で、3人とも国立大学のドクターとなりました。それも彼らが選んだ一つの結果です。その後のTOCの先輩たちの何人もが、東大・京大や阪大・神大等に進学しています。進学すれば人生の可能性は広がります。

でも、目標は、何も難関大学だけではありません。親に言われるのではなく、自分で目標を設定し、自分で夢を実現していくために、自分で計画し、実行し努力を続ける。それが最終的に目指す方向だと思います。そのためにもベースとなる「考える力」は必要です。

いろんな夢を、実現のための苦労を、そして今の姿をTOCの卒業生たちは、わたしに報告してくれます。医師もあり、作業療法士もあり、銀行員もあり、教師もあり(うれしいことに、とても多いです)、プラネタリウムのイラスト橋を作っている技術者、あるいは今問題を抱える原子力発電所の技術者もあり、星が大好きな天文科学館の学芸員(富山市科学博物館にぜひ足を・・)もあります。弾いてみたのイラスト

WEAVERのベイシスト(有名になってきました)の奥野君は阪大進学後に音楽の世界に進むことを決めました・・・・・・

みんな夢に向かってたくましく生きています。ここがいちばん大事なところだと思います。

 

自分で考えて、夢を実現するために、楽しくしっかり生きる。そのためにも「考える力」が必要です。

人生は長いですよ。目先の結果にとらわれず、しっかり先を見つめて行きましょう。

あせらず、ゆっくり、じっくり、ていねいに進めていきましょう。

 

話は変わります。前回の「そろばん神話」で引用させていただいたイメージ力を付けて地頭をきたえるGフォレストの金森先生のブログに、また興味深い記載がありました。共感する部分が多かったのですが、みなさまはこれを読まれてどう思われます。

『  <前略> 
「我が子と教室の子ども達を勉強嫌いにしてしまった反省から…」
という元○文教室の指導者の方
「そろばんでは計算は速くなっても思考力は育ちませんからね・・・」
というそろばん教室兼業の方
「勉強はできるのに、会社で使えない若者の多さに怒りを覚えていました…」
という元企業の管理職の方
問い合わせでも本音の嘆きをたくさん聞きました。
「中学生はもう諦めています」
「学校の勉強ではなく、こういうことをさせないとだめですね」
「使ってみていかに考えられない子ばかりかがわかりました」
「親子2代で○文の指導者でしたが、今は教室をやめて海外に教育移住しています」  などなど

それでも、そろばん教室併設の塾を運営している方から
「おっしゃる通り、おっしゃる通りなんです、最近の子たちはそろばんをやっていても全然ダメなんです…というか何をしてもダメな子が多いんです。そろばんは人は集まるんですけど…」
といった電話がかかってくるんです。
10年以上塾をされている方からです。
異常事態なんです!

生活全般が、学校の授業や宿題が、子どもたちを取り巻く環境が、
子どもたちに「考えない」ようにさせているんです。
12歳までに「思考できるように進化する」のが人間なのに、その大事な時期に
「読み書き計算の徹底反復」「点をとるだけのパターン学習」「浅い理解しかできない先取学習」
「テレビゲーム」「テレビ」「知育DVD」「早期英語学習」「習い事地獄」「外遊びの不足」
といった思考力を育てない環境にどっぷり浸かっているんです。

たくさんの子どもたちを預かっている最前線の学校の先生は気がついているでしょう。
塾の先生は気がついています。
同じ子を何年も面倒をみるから、低学年で成績が良い子が高学年や中学生になって振るわない「満点落ちこぼれ現象」を目の当たりにしている方も多いでしょうね。

でも世の中の多くの親たちは気がついていないのです。
お客さんである保護者には家庭に問題がありますなんて絶対に言いませんから。
表面的な学力だけつけて問題を先送りするのです。
打つ手を知りませんし、自分の子どもじゃないですからね…。

塾を開いて少し経った頃、先輩塾長達とこんな会話をしました。
「塾ってテストの点数はあげられるけど、頭を良くすることは出来ませんよね(私)」
「まあね、それは無理だよ、いいんだよ親は塾に点数をあげて欲しがってるんだから」
「学校準拠の勉強ばかりしてたら賢くなんてなるわけないでしょ」
「でも自信がないなら学校準拠のテキストを徹底反復させるのが無難だよ」
「成績をあげながら賢くするのって凄く難しいから」
「…(私)」

点数をあげるための勉強でかえって頭が悪くなるってことに気がつかなければ…それなりに楽な塾経営ができたんですけどねぇ(苦笑)

あとはこんな会話も普通にしてました。
「勉強が出来るか出来ないかなんて親と話せば一発でわかるよ」
「大抵親が勉強できない原因になってるからね」
「塾でやっていることを台無しにしちゃう親も多いしね」
「でもね〜それを言えないのが辛いところ。」
「確かに…(私)」

今は結構言ってますけど(笑)  』

 

わたしもまた、言ってしまいました(笑えませんが)。

 

塾の役割り TOCの立場は、はっきりしています。

小学生ではイメージ力を付けて地頭を鍛えます。希望に応じて受験対策・学校補習のアドバイスも(公立ではほとんど必要ありません。優秀な成績となります。しかし優秀になるに伴い中学受験を望むようになった家庭、あるいは一部私学小学生からは希望もでてきます、中受の子も受け入れている学校環境なので・・・このような場合も先をしっかり見たうえで、もちろん対応させて頂きます。一般の塾としての指導力にも、30年来やってきているのですから、もちろん自信はあります。点数は取れるようになります。しかし、イメージは続けましょう。)

中学生ではその上で3年間かけて高校受験に対応する技術(テストでの得点力・解法の裏技・誰にでも出てくる不注意ミス対策・受験でのウェイトが重い内申点を上げる意識) も身につけていきます

高校生では大学受験を目指しての自学自習力を鍛えるための各人の受験科目に特定した学習指導・進学学習補助と アドバイス(先生や先輩たちの失敗談・苦労話・成功例・学習の具体的方法・小テスト等…一般の塾・予備校では聞けない内容) をしています。学習していくのは本人です。小中学生とは違います。手とり足とりのお子様学習指導まで望む人は、そのような塾に行きましょう。TOCの高校生クラスでは、心の支えとなるような指導をしています。小学生から来ていた高校生は、やるべきことをしっかりやり続けています。

塾の役割りとしてTOCはこのように考えています。これまでも書いてきましたが、この春、また心新たに進めて行きます。よろしくお願いします。

じゃあ、また。

そろばん神話   TOCの窓 NO.22

投稿日: 更新日:

目と指を使う日本伝統の計算機であるソロバンは、文化(芸事)としては結構ですが、一部の教育関係者の間では以前から、思考力養成には不向きだと言われています。

ただ、現代でもソロバン教室は大人気です。伝統の計算方法であり、計算が速くなるし、右脳教育にもいいって言われてるし・・・・

私個人としては、伝統技術の誇りもある上に、単純な動作も習熟の過程を確認し易く楽しいので、ソロバンそのものは好きなのですが、思考力養成にはやはり不向きだと思っています。

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というのも、まずイメージ力を鍛えて思考力を養成しようとする立場からは、ソロバンは一珠と五珠が混在して、それらの変換作業をしなければならず、直接的な視覚操作(自在に視覚イメージを操るベース)もできないうえに、使うイメージ操作が極端に単純なので、応用が利かないという点が一番の問題なのです。考える力としてのイメージ力を鍛えられないのです

また、計算過程の記録を残すことができないので計算練習に使えないこともあります。

さらに、中学以降(イメージ式では小4くらいから)の計算の全てで使う分数計算整数も小数も分数で考えると計算のルールが1つになる非常に優れた計算の考え方)が全くできません。できるようになっている算盤が在った時代もあったそうですが今は使われていません。不要だからです。

どうしても修得させたいというのであれば12才以降、どんなに早くても9才以降にしたほうが良いようです。全く問題なくできるようになるそうですから。ちなみに、そろあん(算盤での暗算:フラッシュ暗算)を提唱されている神林先生でさえ御本人は9才以降にソロバンを始められていますので幼児・児童期には全く不要ということです。)

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また、イメージ力を育てて地頭を鍛えるGフォレストの金森先生も同様のお考えのようなので、以下、先生のブログも引用させていただきます。

『 学力養成でそろばんをさせるのであればちょっと考えた方がよいと思います。そろばんで頭は良くなりません。

こう言って「その通りですね」という人はまずいません(笑)と思ったら初めて会いました♪私も2年前なら「何言ってんのこの人?」と思っていたはずです。日本人はそろばんでしょ〜!計算が早くなるし、右脳教育にも良いって言うし。

でも、今はそろばんが学力養成には役に立たないこと、人によっては害にさえなることを確信しました。

昔の人は、今みたいにTVゲームもないし、TVもない、遊び道具も自分でつくるような生活で、遊びと生活の中でいろんな工夫をしてきました。その工夫が複雑なことを「考えられる」思考回路をつくってきました。そしてそろばんで「計算力」をプラスしてきたんですね。

ところが今の子どもは、ゲーム、テレビ、パソコンなど便利で自分が工夫しなくても楽しめる生活に慣れ、「考える」思考回路がつくられていません。そこにそろばんや計算ドリルなどの単純な刺激がくわえられると単純な思考回路がつくられ、「考えられない子」がとても多く出来あがっています。

高学年の子が、年長さん向けの文章題の意味が読み取れず、めちゃくちゃな答えをだすんです。何カ月もかけてリハビリしかなり回復しますが、最初はこういう問題に全く手が出ません。

ここは くらげのうみです。まいにち たくさんの くらげが あつまってきます。きょうは きのうよりも 5ひきおおいようです。 きのうの くらげは 6ぴき でした。 あしたもまた きょうと おなじかずだけ ふえるとすれば あしたは くらげは なんびきになるでしょうか。

きょうは、もぐらの もぐもぐが かいものに いく ひです。となりのなんでもやすいよしょうてん では、なんでも 1こにつき 2えん ひいてうってくれます。もぐもぐは 1ぴき 12えん とかいてある ごちそうみみずを 2ひき かいました。なんえん はらえば いいでしょうか。
もちろん、1こにつき 2えんを ひいてくれますよ。

たいようさんと かみなりさんが かけっこをしました。たいようさんは 1にちに ちきゅうを 1しゅうしかできませんが かみなりさんは 1にちに ちきゅうを 6しゅうも まわることができます。
では、たいようさんが ちきゅうを 3しゅう したときに かみなりさんは ちきゅうを なんしゅう しているでしょう。 

 

絵を描かずに、珠を並べるように延々と数字を並べていくというのは算盤教室に通う生徒の典型的な解き方です。ここを修正指導していくのにかなり時間がかかります。生徒の性格も関わりますが。

まあ、高速プリント教室に通っていた生徒やゲーム漬けの生徒も特徴的な絵を見せてくれます。

自宅でやる時には教えないようにと伝えているのに、一般のプリント問題を解く時のように親が教えるというのもすぐ分かるし、これをやっている間は、いつまでも力は付かないですね。分からないのであれば、先にあった年長さんの問題から始めるのが本当にいいです。考える力が付いていけばドンドン上に進めていけます。

こんなことを見ていると、どんぐりの添削教室での入会の条件の理由も分かります。添削という実際に直接指導できない場面では、まず修正は不可能だからです。もちろん直接指導するTOCではこんな条件はありませんが、高学年では特にお聞きしてそうであれば、修正に時間がかかることはお伝えします。ただ、このような生徒では6年生の最初から入会した場合、私が直接指導した場合でも小学校の間で修正できたのは、過去の経験から約5割です。正直にお話しします。年長さん、1年生、低学年ほどしっかりと変わっていきます。

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参考までに、どんぐり倶楽部の添削教室の入会条件を挙げてみると、

【会員登録条件】
1.七田・公文生は、登録不可。他教室、塾については応相談。
2.七田・公文生は、退会後にリセット(2週間~4週間)をすれば登録可。
※リセットの仕方は、個別にアドバイスします。
3.家庭保育園等の幼児教育は状況確認後に登録の可否を判断。
※市販のプリント学習は、現物を見て判断。

【登録後に申し込みをできない場合】
1.宿題制限に同意できない場合(どの程度の制限をするかは個別判断)
2.習い事を3つ以上している場合(1ヶ月以内に整理)
※英語教室に行ってもいいが、英語の検定を受けてはいけない
3.テレビゲームの時間制限を守れない場合は退室
※持っててもいいが、時間内に限定
4.算盤不可(級をとらなければ0K)
※「良質の算数文章問題」を解くときには暗算はしないこと

【習い事について】
・習字(O K)、お絵描き、陶器、など作成物系はO K
・活動可能(ボーイスカウト等)
・〜検定用の学習禁止(遊びに検定はない)
・読書制限もありますので、学習履歴にご記入下さい。
※読書については、状況を見ながら、調整していきます。
個別判断になります。
幼児・児童期に、仮想現実にいる時間が長いと弱い子供に育ってしまいます。
読書自体に悪いことはないのですが、幼児・児童期には要注意です。

【習い事制限につて】
・スポーツ関係(楽器などの体の制御訓練も含む)は1種類
・教養関係(書道・華道・茶道等の型の伝承をする教室)は1種類
・体験関係(体験活動:ボーイスカウト等)は1種類
※楽しみのためであること
・知育関係(算盤・プリント教室・語学教室・パズル教室・実験教室)は要注意:反応を見て判断
※純粋に遊びや文化継承としてのみ可能

と、こんな具合です。厳しいですね。責任がありますからね。

考えない学習内容や学習方法を続けた結果でも、良くなっている人は(他に理由があります)いいですが、ダメだった人は修正していくのは大変です。しっかりと本来の目的を見据えて、じっくり進めていく必要があります。

じゃあ、また。