「ら抜き」初の多数派だそうで TOCの窓 NO.116

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先日、文化庁が発表した2015年度「国語に関する世論調査」では、「見れる」など文法的に誤りとされる「ら抜き言葉」を使う人が1995年度の調査開始以来、初めて多数派になる例が出た、そうだ。

文化庁は、「ら」を入れると受動か可能かが分かりにくいが、「初日の出が見れた」と言えばすぐに可能の表現と理解できることから、「ら抜き」が広まっているのではないかと推測している、とある。(毎日新聞平成28年9月22日朝刊)

確かに、宮沢賢治の「注文の多い料理店」のように、食べられるの受動か可能かの取り違いによるおもしろさを書いたお話もある。でも、たいていは文脈から受動か可能かの区別はできると思う。「初日の出が見られる」と聞いたとき、これは初日の出の立場から見て、受動の意味かもしれないと考える人は、まれではないか、と思うがどうだろう?文化庁の見解は理由になっているのだろうか?推測はズレているのでは?

そもそも、大和言葉に「ら」は複数のもの、他者を意味し、ここから受動的な意味合いを、「れ」には「得」に通じる、手に入れ得る可能をあらわす意味が含まれているのではないか。

そして、「発音しやすいか,しにくいか」の点が大きく関わっていると思う。「見られる」は「られる」と「ら行」が3文字続くため,正確に発音するのが難しい。できるだけ少なくしたいという要求が自然と出てきたのではないか。大和言葉の語頭にラ行音は来ないし、そもそも「ら行」の連続の発音は日本人にとっては難しい。だから、先ほどの大和言葉の意味を含めて、受動の意味では「見られる」は無意識のうちに「見らる」、可能の意味では「見れる」という感じに「」や「」を短めに、ノーアクセントで発音されるようになったのではないか。

さらに、可能の意味合いでは、「見られる/見られない」は「見ることが可能/不可能」と正反対の言葉だが,それが可能か不可能かを聞き手が判断するのは「れる」「れない」の部分だけであって,その前の「ら」はどうでもいい部分だ。つまり,相手に「私はこれが見られるのか,見られないのか」を伝えるためには「見られるの『る』/見られないの『ない』」を強調する必要があり,「ら」と「れ」は重要性が低くなる。
となると,「見られない」の発音の候補としては「見れない」と「見らない」の2つがあるが,大和言葉の意味からも、前者は日本語の話し言葉として意味が通るけど,後者では意味が通らない。だから後者は会話用の単語としては採用されにくくなるのではないか。その点が、特に「見れない」という否定形で多用される理由ではないか。

・・・・・といった考え方は、秋の夜長にふっと思いついた、何の根拠もない、私的なタワゴトですので、本気にしないでね。失礼!

じゃあ、また。

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